舞台保存会だより52 総会開催 保存会新体制始まる
総会開催 保存会新体制始まる
去る5月24日、平成24年度の松本深志舞台保存会の定例総会が、深志神社梅風閣にて開催されました。昨年はサミットと同時開催で賑々しくいたしましたが、本年は総会のみ。定例の議案が、粛々と審議されてゆきました。
舞台保存会の本年の主な行事・事業は、まず舞台の修復竣工が3台!(なんと1年に3台です。普通なら10年に1台あるかないかのはずですが。)6月15日に本町5丁目、続いて7月4日に中町3丁目、そして、本町4丁目舞台の竣工式は秋ごろの予定。これを以って平成の舞台修理事業は、ひとまず完了ということになりそうです。
舞台出動は6月16日に松本駅開業110周年記念を祝って、新しく整備された松本駅前広場に舞台を展示します。実は4月14日に駅前広場完成祝の記念式典があり、その際に出動の予定でしたが、雨天のため舞台展示は中止になってしまいました。今回はそのリターンマッチといったところ。播隆上人像の周りに14台の舞台が並ぶ予定です。
続いて、今年は歌舞伎がやってきます。信州まつもと大歌舞伎。松本で歌舞伎といえば、お練り、登城行列。舞台が先導して本町から松本城まで歌舞伎役者の行列が計画されています。7月15日の予定。舞台は最近竣工なった2台に出場願いましょう。一昨年、またその2年前のお練りと同様、今年も暑い夏になりそうです。(舞台保存会だより31)
2年に一度、夏の中村座。今や定着した感もある信州まつもと大歌舞伎ですが、お練り、登城行列には舞台と子供たちのお囃子が欠かせません。今年も6月中旬より「松本の祭囃子伝承スクール」を開講します。今年で5年目を迎えました。境内の天神会館で太鼓の音が響き始めると、祭り季節の到来を感じます。
歌舞伎が終わると間もなく天神まつり。深志神社の例祭日は7月24日25日です。25日には居並ぶ舞台を背景に、今年も神楽殿でお囃子スクールの発表会です。
秋、神道まつりで大名町に舞台展示が終ると、今年は舞台保存会として「半田山車まつり」を視察旅行することになりました。5年に一度、半田市内の31台の山車が一堂に展示されるイベントです。今回が第7回とか。回を重ねるごとに盛況を増し、2日間で数十万人の人出があるそうです。
当保存会も発足間もない平成9年に幹部の10名ほどが観に行っています。当時のメンバーが受けたインパクトは強かったようで、「松本市舞台サミット」などというイベントも、発想はこの山車まつりにあったのではないでしょうか。
個人的には祭礼の中で山車行事を見る方が、祭り文化の奥行きも感じられて意義深いと思いますが、イベントとして盛大ですし、31台をいっぺんに見られる機会というものは他にありません。今回は40名乗りのバスを仕立てて出掛けたいと意気込んでいます。
そんなわけで、今年も舞台保存会活動はなかなか盛りだくさん。事務局は多忙に追われそうです。半ば好きでやっていることですから文句は言いませんが、それでも保存会の皆さん、一応同情してください。
さて、本年は役員改選の年で、総会に於いて新しい役員・会長が選任されました。
新会長は関口隆男さんです。これまで3期会長を務められた的場文造さんに代って、松本深志舞台保存会・第4代の会長に就任しました。
関口新会長は小池町で、町会長と松本市第二地区の連合町会長も兼任されます。舞台保存会には平成18年から副会長として重任を負っていただいています。
当時小池町舞台が丁度修復に掛かるところで、舞台修理プロジェクトを中心とした修復のあり方について意見があり、役員会でひどく揉めたことがありました。修復の当事者として関口さん自身にも思う処があり、烈しく議論もしましたが、結局抑えてプロジェクトとして修復を行い、小池町舞台は見事に修復されました。飯田町1丁目舞台に続くプロジェクトとして2台目の修復で、その出来栄えは素晴らしいものでした。皆プロジェクトの修復技量に感心し、あれを機に平成の舞台修理事業は軌道に乗っていったと思います。
この機会に歴代の舞台保存会会長を振り返ってみたいと思います。
保存会設立初代の会長は本町3丁目の太田勝彦氏でした。平成7年、松本深志舞台保存会の設立と共に会長に就任しました。
その頃、私は舞台保存会に関与していませんでしたので、保存会会長としての太田氏はあまり知りません。しかし、同時期に太田氏は深志神社の氏子総代会副会長でしたので、その人柄は懐かしく思い出されます。細身の体に品のいい顔付きで、少しやんちゃで我儘で、まったく絵に描いたような老舗の旦那様でした。
舞台保存会は飯田町の大野貞夫さんや博労町の伊藤雄康さんらが、舞台町会を駆け回り、同志を糾合して設立した会でしたから、太田さんは明らかに神輿でした。しかし、太田さんは気持ちよく担がれ、皆から支えられながらうまく会を纏めていったと思います。
担がれるのはまったく上手い人でした。自分からは何もせず、我儘を言ったり周りに世話を焼かせたりするだけ。しかし、そういう人間が中心にいた方が組織はうまく機能するようです。外国にはこういうタイプのリーダーは存在しないと聞いていますが、なるほど日本の社会・組織というものは不思議なものです。
(向かって左が太田会長、手前は中町2丁目の太田滋さん、右は中町3丁目の熊谷さん)
(スマートなお三方でしたが、三人とも故人となられました)
しかし、担がれながらも太田さんは東日本鉄道文化財団からの支援事業認定と、深志舞台の松本市重要有形民俗文化財指定という舞台保存会の基礎となる大きな仕事を成し遂げてしまいました。もちろん周りの会員が折衝し、陳情して取得した認定・指定ですが、功績はリーダーである太田さんのものです。何の彼の言っても、舞台保存会は初代太田会長の築いた会なのだな、と思います。
太田さんは平成14年の総会で会長職を退かれ、平成18年10月に逝去されました。
(賞状を持つのが太田会長、前列右端が次期会長になる斉藤傳さん)
第二代の会長は中町2丁目の斉藤傳氏でした。斉藤さんは雄大な体躯の持ち主で、体も四肢も分厚く逞しく、顔も四角く大きくて、中国風に大人と呼びたい風貌をしています。現役時代は学校で体育の先生だったそうです。剣道とか相撲とかが強そうに見えました。
人柄もゆったりと奥深く、この人が16舞台町会の会長に推されたのは納得がゆきました。
会議の時、斉藤さんは少し首を傾げて相手の発言を咀嚼するようにじっと聞いていました。耳が遠いためで、言葉を聞き取ろうと耳を傾けるのですが、その様子がいかにも真摯で、私はいつもこういう風に人の意見を聴き、話をする人間になりたいと思ったものです。
保存会の古役員の中には鼻柱の強い人も多く、相変わらず会長なぞは飾り物という頭で、会議の折など議論が沸騰してくると、
「デンさっ(傳さん)、あんたは俺の言うとおりにやりゃあいいだよ!」なぞと暴言を吐く輩もいました。しかし、そんな無礼にもじっと耳を傾けて、
「そう仰有るが、これは、やはりね…。」と堪えて懇切に話を進めました。持前の腕力と胆力に物を言わせることもできた筈ですが、決して声を荒らげることはなく、この人は偉い人だな、と思いました。
斉藤傳さんは会長を2期務められ、平成18年の総会で後任を的場さんに託しました。
傳さんは今もご健在です。耳の遠い人は長命といいます。いつまでもお元気で中町にいてほしいと思います。
(修復された中町2丁目舞台の神武天皇人形とツーショットの斉藤傳さん)
第三代の会長職を引き継がれた的場文造氏は伊勢町2丁目で、設立当初から副会長を務める保存会の中心メンバーでした。温厚な紳士で町会を超えて多くの人から頼りにされ慕われています。頼まれると嫌と言えない性格らしく、いつも笑顔で労を厭わず地域活動に尽力されるからだと思います。
舞台保存会は16舞台町会の寄り集まりですから、町会により会員の考えも違い、個性的な役員も多かった。会長を怒鳴りつける副会長や、発想豊かだけど喧嘩早い事務局長。そんな会員の手綱を執り、空中分解させずまとめてゆくのは大変です。前2代の会長もそうでしたが、この会の会長には的場さんのような方が最適だったと思います。その任期の間に保存会は安定して事業をできる会に成熟しました。
(総会終了後、退任にあたり花束を受け取る的場前会長と輪湖事務局長)
舞台修復も見通しが付き、お囃子スクールなど恒例事業も定着して、保存会事業も安定期に入りました。一方で昨年の松本地震から舞台庫の耐震性が議論されるようになり、修復した舞台の展示施設も含めて新しい課題が見えてきています。関口新会長はこの新しいステージで会をリードしていただくことになります。
なお副会長には、加納靖公氏(本町4丁目)と石塚栄一氏(本町3丁目)が留任、新たに中町3丁目の伊東祐次郎氏が選任されました。保存会新体制がスタートします。
さて改めてお知らせですが、6月16日(土)松本駅前公園で舞台展示があります。遠くの方も電車でお越しくだされば、駅前に14台の舞台が並んでいます。
また、6月15日(金)には本町5丁目舞台が、7月4日(水)には中町3丁目舞台が深志神社神前にて竣工・入魂式を行います。どちらも人形を積載し、見事な仕上がりを見せています。時間のゆるす方はどうぞお越しください。