舞台保存会だより137 夏祭舞台鑑
夏祭舞台鑑
今年も深志神社にとって祭の季節、夏が巡ってきました。来る7月24日25日は天神祭り、例大祭です。昨年はコロナ禍の中、舞台など主要な祭礼行事は中止を余儀なくされました。そして今年は…。
(一昨年・令和元年の深志神社例祭・舞台曳き込み風景)
残念ながら、今年も主な行事は中止ということになりました。舞台出場もありません。二年連続で舞台行事が中止とは、実に割り切れぬ思いです。しかし新型コロナが終息せず、ワクチン等予防措置も十分届いていない現状では、やむを得ぬ判断と言わざるを得ません。
一年前、まさか今年もとは予測できませんでしたが…。
舞台保存会の主要事業『祭囃子伝承スクール』も中止です。お囃子スクールは比較的高齢の指導者たちと小学生たちが、大きな掛け声を出して練習します。舞台行事もないのであれば、伝承のためとは云え敢えてリスクを冒すことはできません。
(お囃子練習風景)
そんなわけで今年も天神まつりは静かな祭りになりそうです。ただ昨年と違うのは香具師の皆さんが高店を出すことになりましたので、宵祭り(24日)は縁日らしい境内になることでしょう。皆様には感染予防に十分注意してお出かけくださるようお待ちしております。
(令和元年の境内風景)
さて天神祭りはそんな次第ですが、今年は3年ぶりに信州まつもと大歌舞伎が開催され、舞台も一台出場しましたのでそのことを報告します。
(本町2丁目舞台の出動風景)
平成20年から二年に一度開催されていた中村座による信州まつもと大歌舞伎は、平成30年の興行を最後にいったん休止となったようでした。詳しい事情は分かりませんが、オリンピックやら何やらの絡みで、親会社の松竹が松本興業の終了を決めたという噂で、私のところにも市民活動委員会からそんな風聞のメールが届いたりしました。
「あんなに親しまれて、市民に愛され待ち望まれたイベントが、これで終わりなのか…。」
がっかりしたのは松本市民だけではなかったろうと思います。
それが今年になって急遽開催と発表され、新聞紙を見て目を瞬かせました。しかもこのコロナ下で、あの芸術館に100%の観客を入れるといいます。(でないと採算が取れないのです)四月の中旬に3年ぶりの「まつもと歌舞伎市民活動委員会」が開かれ、そこで概要が知らされましたが、まだ半信半疑でした。
(芸術館前)
但し公演は100%で行うものの、市民イベントは基本中止。登城行列や松本城内での市民ふれあい座もやりません。代わりに公演期間中、舞台を1台芸術館前に出して、松本らしい祭の雰囲気を演出することにし、更にそこで祭囃子の生演奏も披露することとなりました。
出場する舞台は、本町2丁目舞台と決めました。2丁目舞台は実は前回も出場しており本来なら別の舞台を指名するところですが、この町会は自分たちでお囃子の練習をしていて、笛も含めて自前で演奏ができます。昨年からお囃子スクールが停止している中では、ここに頼むほかない。幸いにも引き受けていただき、舞台保存会として歌舞伎への参加が叶いました。
(舞台前でお囃子について説明する本町2丁目・山田さん)
(本町2丁目舞台のお囃子 芸術館前で)
6月15日、本町2丁目舞台は町会と文化振興課の皆さんに曳かれて芸術館入り口脇に据えられました。今回ここで6日間の公演中観劇に訪れた人たちを迎えます。更に、夏越大祓いの茅の輪が用意されました。これは市民活動委員会・青山顧問の発案で、コロナ退散を願ったもの。劇場内はどうしても密になりますから公演の安全・厄除祈願です。不肖私が大祓いの祝詞を奏上して、茅の輪を清めました。
(茅の輪お祓い風景 撮影:山田 毅氏)
(茅の輪をくぐって入場する人たち)
20日の公演中日には本町1、2丁目のお囃子同好会・松本お囃子保存会の皆さんが舞台上で祭囃子を披露してくれました。いつも天神祭りで奉納・演奏される5曲の囃子の演奏です。
深志舞台は18台で、それぞれの舞台で子供を乗せてお囃子をするのですが、なぜか昔から町の笛師というものがいません。笛師は山辺から呼ぶという伝統なのでしょうが、その笛師が来なくなっても、自分たちの中から笛師を養成しようという機運がありませんでした。
カセットテープという文明利器の登場も、笛師の必要性を遠ざけたと思います。このことは松本の祭囃子の質とマインドを低下させました。
(天神まつり宵祭で 舞台上でお囃子を演奏する本町2丁目の人たち)
そうした中、本町1、2丁目の有志の皆さんは大人になっても自分たちでお囃子を続け、さらに山辺の笛師さんを講師に迎えて笛の練習も重ねてきました。その成果が今回の歌舞伎公演のアトラクションとして披露されたわけです。どうということのない地方のお囃子ですが、事情を知る者としては大変感動的でした。今年は中止となったお囃子スクールも来年はぜひ立て直さなくては、と感じています。
(深志舞台囃子を演奏する本町1丁目の子供、2丁目の人たち)
さて、今回3年ぶりに開催された歌舞伎の演目は『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』。13年前まつもと大歌舞伎が始まった時と同じ演目です。当時の主演は中村勘三郎丈でした。その後6回の公演を重ね、幾つもの演目を見ましたが、『夏祭』が抜群に面白い。見応えのある演目です。海外でも上演され評判が高かったそうですが、解る気がします。
ストーリーは侠客の意地と義理人情の噺ですが、物語の中心に親殺し(舅殺し)があります。親殺しは現在も重犯罪ですが、江戸時代は家族も連座で鋸引きという極め付きの大罪です。 ところが主人公・団七九郎兵衛は心ならずも舅を殺してしまう。まったく「心ならずも」なのですが、夏祭りの宵闇の中で、何かに追い詰められるようにして殺しに向かう団七の姿・心は凄まじい。シェークスピアやドストエフスキーの心理劇を髣髴とさせます。
(13年前、初回『夏祭』のパンフレット)
西洋文学ではオイディプスからカラマーゾフまで、父殺し・老人殺しは重要なテーマでした。日本では歴史や伝説の中で親殺しは屡々登場しますが、思うほど特異な事象ではなかったようです。特に古い武士の世界では子が父を追い、親が子を殺すのは至極普通のこと。それが罪として演劇のテーマになるのはやはり江戸時代からで、この頃から現代にも通じる倫理や社会規範が行われるようになったということなのでしょう。
いずれにせよ『夏祭浪花鑑』の演劇性は極めて現代的・普遍的だと言えます。
(今回の『夏祭』パンフレット)
今回13年ぶりの『夏祭』は故・勘三郎さんから勘九郎さんに渡されました。ニュアンスは違いますが、どちらの団七も素晴らしい。凄まじい笛太鼓の響きに誘われ、夏祭りの熱に中てられたかのように、狂気に捉まれ堕ちてゆく姿を存分に表現していました。更にそのお子さん長三郎君も子役で出演していました。いつか次の引継ぎがされる時まで、まつもと歌舞伎が続いてほしいと願っています。
(本町2丁目舞台と入場する人たち)
懐かしいので13年前・平成20年の「お練り」の写真を貼っておきます。
今思い返しても夢のよう。あれは本当に暑い夏でした。
(平成20年初めての「お練り」 舞台の出動・中町1丁目舞台)
(朝、花時計公園に3台の舞台集結)
(小池町舞台、中町1丁目舞台 参加者も集まってきた)
(本町1丁目舞台)
(当時の舞台保存会会長・的場文造さん 隣は輪湖さん)
(舞台保存会事務局長の早田覚弥さん)
(実行委員長の青山織人さん 出発間近の緊張感にあふれています)
(舞台の出発)
(中村勘三郎さん ああ懐かしい)
(今回の主役・団七の中村勘九郎さん 当時は勘太郎さん)
(なんと清々しい中村七之助さん 今回はお梶でしたね)
(本町を行く舞台 とにかく凄い人出でした)
(大名町を行く 法被姿は「匠の会))
(松本城内に入って もう一度勘三郎さん)
(ついでに笹野高史さん)
(松本城天守前 とんでもない数の人でした まさに立錐の余地なし)
(天守前でお囃子披露 第1回お囃子スクールの晴れ舞台です)