舞台保存会だより114 いぬの生活
いぬの生活
1918年といいますから今からちょうど100年前、チャールズ・チャップリンの無声映画「犬の生活(A Dog’s Life)」が公開されています。例のとおりのドタバタ喜劇ですが、「放浪者チャーリー」が確立した作品ということで、チャップリン映画の中でも重要な作品とされています。チャーリー誕生100年。映画を見るとずいぶん古臭くも感じますが、いや100年前はすでに現代なのだ、とも感じさせます。
映画の中で、スクラップスと名付けられた犬が登場しますが、野宿しているチャーリーの寝床から、ここ掘れワンワンで大金の入った財布を掘り出します。これで浮浪者チャーリーは幸運をつかみます。…おや、どこかで聞いたような話です。
(高山屋台「麒麟台」の唐子彫刻に描かれた洋犬 谷口与鹿作)
(引き綱の鎖は彫刻本体から一体で彫り出されており 与鹿の超絶的技術と讃えられている)
平成30年戊戌(ツチノエイヌ)年。新年ですので、また舞台に飾られた干支の動物を紹介してみたいと思います。
と思いましたが、戌年・いぬの彫刻というのは意外にありません。竜や鳥のような華やかさがありませんから、そう多くはないと承知していましたが、さあと調べてみると深志舞台の中にはいぬを主役にした彫刻がまったく見当たらず驚きました。深志の舞台ではないものの、わずかに池田町2丁目舞台と三郷一日市場舞台の手摺りの小窓に仔いぬを描いた彫刻があります。どちらも清水虎吉の作で実に愛らしい佳作です。
(池田町2丁目舞台の小窓彫刻) (三郷一日市場舞台の手摺り小窓彫刻)
それにしてもいぬという動物は最も人間に身近な家禽のはずで、人間の友と言ってもよい動物ですが、どうして舞台や社寺彫刻に描かれないのか。あまり身近すぎて、敢えて飾るに値しないと考えられたのでしょうか。
いぬは神道の世界では穢れのある動物と考えられているようです。例えば伊勢神宮でもいぬは宇治橋を渡って神域に入ることはできません。大事なペットだからと抱いて入ろうとすると、鳥居わきに立つ守衛さんに止められてしまいます。参拝の間守衛所で預かってくれるそうですが、一緒に入れないのならと、そこで帰ってしまう人も多いそうです。でもこれは宗教的タブーですから仕方ありません。
ところが宇治橋を渡って神域に入ると、ここでは鶏が自由に暮らしている。神鶏とかいって放し飼いにされ、何処でも気ままに動き回っています。同じ動物・家禽なのにこの違い。酉年から戌年への懸隔は、甚だしいものがあります。
舞台の彫刻にいぬが少ないのは、そうしたタブーが影響しているからなのか分かりません。ただ、主役ではなくわき役として登場し場面を活性化させているいぬたちはいます。子どもと一緒に遊ぶもの、特に唐子と絡んだいぬは実に情感豊かで、彼らは本当に人間の友なのだと思わせます。
(中町3丁目舞台の「子ども四季遊び図」に描かれた駆け回るいぬ)
以前にも紹介した中町3丁目舞台の手摺り彫刻。(舞台保存会だより46)
鬼ごっこで子どもと一緒に駆け回るいぬ。追いかけっこは、いぬにとっても一番楽しい遊びです。本当に子どもたちと一心になって遊んでいます。子どもたちの歓声とともに弾んだいぬの吐息も聞こえてくるようです。
もう一場面。雪の景色で、何か失くしてしまったのか悄然とたたずむ男の子と、その子を見上げる仔いぬ。お姉さんらしい少女も心配そうに声をかけますが、何があったのでしょうか。男の子の心中を察するように見上げる仔いぬの姿が愛ほしい。印象的で、なんとも心温まる情景です。シンパシー(共感・共鳴)という言葉がありますが、いぬは人と喜びや悲しみといった感情をシンパシーすることのできる唯一の動物ではないかと思います。
(常滑市大谷浜条『蓬莱車』の檀箱彫刻『唐子といぬ』立川昌敬作)
これも以前に紹介しましたが、常滑市大谷浜条『蓬莱車』の檀箱彫刻『唐子といぬ』。(舞台保存会だより60)
6人の個性的な唐子が、それぞれに自分のいぬを抱いて自慢するように遊ぶ群像。心楽しくなる画面です。「唐子遊び」というと楽しげではあるものの、どこか様式的な雰囲気も漂うものですが、この唐子たちは本当に自由であるがままの子供を感じさせます。
作者は立川昌敬。彼はこの図がよほど好きだったらしく、半田亀崎の『神楽車』や『花王車』の勾欄彫刻にも同じ図を施しています。以前諏訪市博物館で神楽車の組み立てを見た時、上山をめぐる勾欄下の後部にこの『唐子といぬ』図があるのに気が付きました。しかも図は8か所ありますが、他は七福神なのにそこだけなぜか『唐子といぬ』。昌敬にとってはサインのような彫刻だったのかも知れません。
(半田亀崎「神楽車」の組み立て風景 勾欄下の彫刻を取り付けている 諏訪市博物館にて)
昌敬の師匠である二代目和四郎・立川富昌も唐子といぬの絡みが好きだったようです。屡々唐子彫刻の中にいぬを抱いた子が登場しますし、中でも下半田の『唐子車』の檀箱側面に描かれた唐子は印象的です。二人の唐子がそれぞれいぬを抱きますが、仔いぬの柔らかさ、重み、その温もりまでが伝わってくるようです。
この彫刻は以前、立川昌敬の作と伝えられていましたが(「立川流の山車と彫刻」1996水野耕嗣著)、先だって諏訪での水野耕嗣先生の講演では富昌の代表作として紹介されていました。
どのような研究の成果か分りませんが、十分に納得のいくことです。昌敬の『唐子といぬ』との作風の違いもありますが、あのように圧倒的な唐子図は他に比較するものとてなく、それはやはり立川和四郎・富昌にしか為しえない仕事ではないかと思うのです。
いったん卑近に戻って、小池町舞台の手摺り彫刻に描かれた『桃太郎一代記』に登場する家来のいぬです。凱旋する場面ではシカに騎乗していたりしてこれまた面白い。
桃太郎の家来、サル、キジ、イヌは干支の申、酉、戌に応じているとかで、隠された意味があるとも謂われますが、府会のことはよく解りません。
桃太郎は現代でも最も人気の高い昔ばなしだと聞きます。ファンタジックで痛快で面白く、子供が男の子であれば、桃太郎のように元気な子であってほしいと誰でも願うでしょう。
ただ、桃太郎噺は詮ずるところ侵略譚・略奪譚です。離れ小島で平和に暮らしているオニ族を襲って彼らを打ち懲らし、その財宝を奪ってくるという話です。どう考えても褒められた話ではありません。背徳的な伝説・民話はどこの国や民族にもありますが、だからと言って推奨してよいものではありません。我々の過去の歴史に照らせば、こうした話をいつまでも野放しにして幼児教育の資とするのは、些か問題ではないかと思います。
(中町2丁目舞台持送り彫刻「桃太郎」後ろに家来のいぬも見える 山口権之正作)
いぬが登場する昔ばなしと言えば、やはり『花咲か爺』でしょう。これは勧善懲悪もありますが、心優しいお爺さんと霊犬との友情譚です。
霊犬ポチは心悪い隣の爺さんに殺されてしまいますが、その墓から大木となり、臼になり、またもや悪い爺さんに打ち割られ焼かれてしまいますが、灰となり、その灰が花咲か爺さんに撒かれると桜の花となります。則ちポチはさくらの精であり、さくらの精であるとは、日本文化の源である稲作文化の精霊であるということです。
くるりと尾を巻いた日本犬。その背後には二千年に及ぶ日本文化が映っているといえるのでしょうか。
忠犬ハチ公や霊犬早太郎、西郷さんの飼い犬まで、我々といぬの関わりは深浅に亘りながら絶えるところがありません。犬のお伊勢参りというような伝説もありましたし、神宮でもぼつぼついぬの参拝を許してやってもよいのではないでしょうか。