舞台保存会だより96 蝦蟇と鉄拐
蝦蟇と鉄拐
蝦蟇仙人(ガマ センニン)と鉄拐仙人(テッカイ センニン)は、社寺や山車彫刻中に屡々登場する仙人で、山車の観覧者には馴染み深い仙人です。たぶん瓢箪から駒を出す仙人・張姑老(チョウカロウ)に次いで出場機会が多いのではないでしょうか。ただ張姑老のような解り易さがなく、いろいろと謎の多い仙人です。
彼らはたいていペアで描かれます。しかし、なぜペアなのか。そもそも何ゆえの仙人なのか、その辺からしてよく解らない。かねてよりその理由を考えあぐねていました。
聊か酔狂ですが、今回はこの二人について考えてみたいと思います。
前回のたよりで、亀崎の神楽車に鎮座する蝦蟇・鉄拐を紹介しましたが、大体において両仙人はこんな具合に描かれます。
…蓬髪に襤褸を纏い、空に向かって息を吹き出す。(鉄拐)また、
…人の頭ほどもある大きな蝦蟇ガエルを可愛いペットのように頭にのせ、こちらを見てニタリと笑う。(蝦蟇)曰く、グロテスク、不気味。また、不可解。
なぜ彼らが仙人であるのか、その由緒から解説しなくてはなりますまい。
(大町市大黒町舞台の七仙人彫刻「張枯老」と「蝦蟇」「鉄拐」立川富昌作)
まず、鉄拐仙人について。鉄拐は李鉄拐とも言い、八仙人の一人で尸解を行う仙人として知られます。尸解(シカイ)とは神仙術の一つで、体をこの世に残したまま、魂だけ体外に抜け出す(外見的には死)術を言います。そのエピソードは大変面白い。
鉄拐は若いころから神仙術に励んだ体格の良い道士であったが、ある時、崋山の老君を訪ねることになり、霊魂となって行くことにしました。そこで弟子を呼んで命じるには、
『俺はこれから老君の許に行くが、体は置いてゆくので守っていてもらいたい。七日以内に戻るつもりだが、それを過ぎても戻らなかったら体は焼却してよい。しかし七日間は焼いてはならぬ。』
そう言いおいて鉄拐は出てゆきます。
ところがそれから暫くして弟子の母親が死んだので、弟子は守り続けることが出来ず、六日目に鉄拐の体を焼却して家に帰ってしまいました。
七日目に帰ってきた鉄拐は戻るべき体がありません。仕方なく近くにあった跛の乞食の死骸に入りました。
以後、鉄拐は襤褸をまとい、杖を突いた醜い乞食の姿となりました。画面により立ち姿もありますが、たいていは不自然に足を曲げた、所謂「いざり」の姿で描かれます。
(安曇野市穂高有明 有明山神社「裕明門」の鉄拐仙人 清水虎吉作)
鉄拐は6世紀、隋の時代の人物とされますが、中国で一般に火葬が行われるようになるのは宋以降とされますので、エピソードとしては10世紀以降の成立と思われます。それにしても、尸解という高度な仙術を会得していながら、不覚にも身体を喪い、醜い乞食に身を窶すとは、実にユーモラスで仙人失敗譚として笑えます。
謂うまでもなく仙人の目指すところは不老長生で、さまざまな修行や食生活もそのために行われます。房中術による体内エネルギーのコントロール、食事や薬を通じての心身の清浄化などです。若さを保ったまま長生し、やがて身体は朽ち果てても、スピリッツとしての精神が昇華、永世の世界に入ることがその理想でしょう。
鉄拐は手違いにより心ならずも身体を喪い、そのまま仙として昇華してもよかったのかも知れませんが、乞食に身を変え世にとどまります。清浄に昇華すべきものが、より汚い物質にとどまるというところに、鉄拐の面白みがあるのだと思います。
(駒ケ根市・大御食神社の本殿向拝部の彫刻 中央に張枯老 左右に蝦蟇と鉄拐)
(立川流の棟梁・立木音四郎作 鳥の糞で汚れているのが残念)
次に蝦蟇仙人ですが、これは全く謎の仙人です。蝦蟇と共にいるため蝦蟇仙人と通称されます。三本足の蝦蟇を使い妖術を行うとされますが、いったいどのような妖術を使うというのか。(児雷也とは無関係でしょう)そもそも本名がはっきりせず、どこの誰なのか、そこからしてよく分からないのです。
通説では劉海蟾(リュウ カイセン)という道士であるとされます。
劉海蟾は『累卵の危うさ』という故事成語を生んだ人物です。彼はもともと官僚で、宰相にまで登りつめましたが、或る日、世俗の栄達は「積み重ねた卵のように危ういものだ」と悟り、終南山に隠棲して神仙術に励みました。丹薬を作って仙人となり、やがて頭頂から白い気を発すると、鶴に化して空の彼方に飛び去ったといいます。
呂洞賓に学んだとも伝えらます。その意味ではオーソドックスな神仙道を歩んだと考えられ、蝦蟇とか妖術には縁がなさそうに思えます。おそらく名前に蟾(ヒキガエル)の字があることから蝦蟇仙人に比定されたのではないでしょうか。
(半田市成岩・旭車の脇障子彫刻 蝦蟇・鉄拐 立川和四郎富昌作)
もう一つ別の説によれば、蝦蟇仙人のモデルは「侯先生」と呼ばれる謎の人物とされます。
侯先生については明の王世貞の『有象列仙伝』に記述があるという。それによれば、
『宋の大中年間、都で薬を売る四十がらみの男がいた。体毛や眉・髭がなく、体中に瘤のようなものがある。酒が好きで酔うと路上で乞食と一緒に寝てしまう。
ある夏の夜半、馬元という男が城外に出てゆく侯先生を見かけ後を追うと、先生は郊外の池で水浴を始めた。馬元が近寄ってその様子を観察すると、泳いでいたのはなんと大きな蝦蟇であった。
水浴を終え、池から上がって着物を着た侯先生に馬元が挨拶すると、先生は笑いながら、
「君は私を見かけたでしょう」と言って馬元を居酒屋に誘った。そこで一粒の丸薬を渡し、
「これを飲んだら百歳まで生きられる」と、
その後、都で侯先生の姿を見ることは二度となかった。後に蜀から来た人の話に、市場で薬を売っている彼らしき人を見たという。…』
(安曇野市穂高有明 有明山神社「裕明門」の蝦蟇仙人 清水虎吉作)
この話によれば、侯先生は蝦蟇使いではなくガマそのもの、蝦蟇の化身ということになりそうです。神仙奇譚として実にとりとめもなく、仕様もない噺ですが、さすが王世貞の撰録というべきか、まったく面白い。われわれの近くにも実は侯先生が潜んでいるかも知れない、と思わせる説話です。
蝦蟇仙人は劉海蟾か、それとも侯先生か。個人的には侯先生・説に一票を入れたいが、どちらでもよいのかも知れません。蝦蟇仙人の正体はガマ仙人なのでしょう。
(須々岐水神社 薄町お船とその彫刻「蝦蟇・鉄拐」作者は立川富重、富種兄弟と伝えられる)
斯くして鉄拐も蝦蟇仙人も、中国でも日本でも大変人気のある仙人です。殊に中国では、鉄拐はほぼ八仙人の筆頭に数えられますし、蝦蟇仙人は中国の春節に家に貼られる「年画」という大津絵のような貼物の題材でした。ただ、鉄拐と蝦蟇が対に描かれるのは日本独自のようです。由緒からいってもこの両仙人にはペアとなる必然性がなく、多くの人が不思議を呈しています。しかし明確な答えはありません。
寒山・拾得とか恵比寿・大黒のような明らかな関係がなく、しかし蝦蟇と鉄拐が対で描かれるのはなぜなのか?そこには確かに対となる基準、或いは思想性があるのだと思いますが、それは何なのでしょうか。
(越中八尾・西町曳山とその胴部小脇彫刻「蝦蟇仙人・鉄拐仙人」)
他の仙人たちに比べて鉄拐と蝦蟇に共通するもの、その一つは彼らの汚れ、穢さ・醜さにあると思います。鉄拐は還るべき身体を喪って、仕方なく跛の乞食の死体に宿る。行倒れ死体と思われ、とりあえず近くにはそんなのしか無かったということでしょうが、やはり汚い、醜い姿に化るというところに意味があるのだと思います。
なんとなく埃っぽい、叩けば埃の舞い散るような汚さでしょうか。臭いもあると思います。
蝦蟇仙人はやはり乞食風で汚い。頭に大蝦蟇を載せている姿は、沼の中からぬるりと這い出してきた感があります。べとべととした泥っぽい汚さを感じます。
それにしても、なぜこのような汚い仙人を並べるのでしょうか。そこには或る仏教思想が関係しているように思われます。
仏教の思想の中には穢浄不二と云うのか、清く美しいものも、穢れ汚いものも現象面の違いであって、或いは受け取る人間の感受性によるものであって、実態に変りはない、という考えがあります。実際その通りで、美醜とは人の感性によるところでしょう。
しかし、この思想は理屈では容易に理解できても、感性でその通りに受け取ることは大変難しい。高度な精神的修練が必要です。例えば禅など、仏教における修業の目的とは、一つにはこうした感性の陶冶にあるのであろうと思われます。
鉄拐と蝦蟇はともに汚い。しかし、穢いものの中にこそ真実と真の美が輝いている。例えば泥沼の中から茎を伸ばし、この世で最も美しい花を咲かせる蓮のように。
(半田市岩滑・八幡車の向拝部彫刻「蝦蟇・鉄拐」 作者は彫常だったと思います)
因みに、神道は仏教と違い、寧ろ穢れを強調し、それを祓い清めることに主眼を置きます。
「もろもろの罪・穢れ 有らむをば 祓へ給い清め給へ」と唱えます。「穢れ(ケガレ)」は「気枯れ(ケガレ)」で、生命力が減衰することを謂います。この衰えた生命力を若々しく復活させる行為が、「祓い清め」です。
仏教が死の観点から生と世界を見つめるのに対して、神道はあくまで生の本質から世界を見る宗教であると謂えます。
そうした神道的観点から蝦蟇と鉄拐を見るとき、この両者に共通する特徴は、仙人でありながら人間の基本的な生命活動を強調しているように思われることです。
(安曇野市熊倉・春日神社のお船とその支輪部彫刻「鉄拐」)
(最近初めて拝見ましたが、これは堪らない彫刻です 驚きの鉄拐)
鉄拐は口から激しく呼気を吐き、彼の生命である分身の形をした霊魂を吹きだす姿で描かれます。呼気と共にその霊魂を出し入れする。「生きる」とは呼吸をすることであり、「息る」ことです。呼気を吹き出す鉄拐は、生命そのものを象徴する仙人であるということが出来ます。
(同じく春日神社お船の「蝦蟇」 これも凄い しかも蝦蟇仙人が二人もいます)
一方、蝦蟇仙人は水を象徴する仙人と言えましょう。彼が頭に載せたり、弄んだりしているカエルは、水棲生物といってもよい生き物で、水を離れては生きてゆけません。粘膜で形成された皮膚は常に水を需め、水と共に在ることを欲しています。それはカエルに限らず生きとし生ける生命の本質でしょう。
蝦蟇を載せて笑いながら此方を見つめる仙人は、こんなことを呟いているように思えます。
『あんた、儂のことを変な奴だと思っているだろう。頭に蝦蟇を載せたりしてさ。確かに儂は蝦蟇が好きだからね。
だけど、この蝦蟇も儂もおんなじなんだぜ。同じ生き物でどこも変わりゃあしない。姿かたちが少し違うだけさ。あんた蝦蟇なんて馬鹿にしてるだろう。でも儂に言わせりゃあ、いつも水辺でグエグエ言ってるこいつの方が、生き物としてほんとの姿さ。
そうさ、この蝦蟇は儂自身さ。そして、それはあんたも同じだ。あんたも儂と同じ蝦蟇なんだよ。』