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舞台保存会だより94 二十一年目を迎えて

二十一年目を迎えて

新しい年が明け、今年は平成28年。穏やかな年始となりました。経済や世界情勢は些か波乱含みですが、舞台云々は平和の営み以外の何ものでもなく、舞台保存会としましては、今年も祭りや行事に舞台がきちんと出場できるよう、尽力して参りたいと思っております。

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(昨年の天神まつり、境内に並ぶ舞台風景)

数年前ですがNHKの朝の連続テレビ小説で『カーネーション』というドラマが掛かっていました。戦前戦後・昭和の日本を、洋裁師として逞しく生きた女性をモデルにしたドラマでしたが、舞台が大阪の岸和田で説話の節目節目に、かの『だんじり』が登場します。

主人公をはじめ岸和田の町はだんじりを中心に回っています。年に一度、祭りでだんじりを曳くことが生活のピークであり、喜びも悲しみもだんじりに映して語られます。

戦時中のエピソードがあり、暗い時代を過ごしてようやく終戦。平和が戻って、やっとだんじりが曳ける、と思いきや、進駐軍の命令でだんじり曳きが禁止されてしまします。進駐軍は日本人が原初性を取り戻すような祭りや宗教行事を危険視したようです。

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(だんじり これは大阪・平野郷のもの)

祭りが近づき、庫を開けて無念そうにだんじりを見つめる男たち。(若者はいません)

そのうちに一人が、「やっぱり曳こや。」と言って、命令を無視してだんじりを曳き出してしまう。そういう場面がありました。

個人的な感想で恐縮ですが、見ていて胸が痺れるほど感動しました。

何に感動したのか、正直なところよく分からないのですが、男たちのだんじりに懸ける思いの強さと矜持、心意気でしょうか。普段は仕様のない日々を送っていても年に一度のだんじりは別ものであり、生きることの源。レーベンデートルと言ってよい。それを止めることは誰にもできない、という岸和田の男たちの気概が心に刺さったのだと思います。

たぶん舞台や山車を曳くことのある町の人であれば、少なからず共感があるのではないでしょうか。

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(越中八尾曳山 曳行風景)

山車を曳く、この素晴らしく単純な活動は、よく考えてみれば不思議なことです。曳くことの何がそんなに素晴らしいのか。そもそも何を曳いているのか?

舞台や山車は英語ではフロート’float’(浮き・浮き船)と訳されますが、器械としてはカート’cart’(荷車)で、運送・運搬具になります。運搬具ならば何かを運ぶはずですが、何を運ぶのか?…これが意外に難しい。

山車や舞台は神社の祭礼にあたって運行されますから、祭りにおける何か、を運んでいるはずです。祭りに運ぶものとは何でしょうか。

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(深志神社の神輿 宮村宮・天満宮の二神に対応して二基ある)

祭礼関係の運搬具には、他に神輿があります。神輿は神様の乗り物で、運ぶものは神様です。神様専用のリムジンと言っていい。

神様はふだん神社の奥の御本殿に鎮まっていますが、年に一度の例祭には輿に乗って氏子の町々を見て回る。それが運送機としての神輿の機能です。したがって神輿神幸には本殿から神輿へ御神体を遷す遷御の儀が欠かせません。

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(神輿神幸出発)

では、山車や舞台は何を運ぶのか?山車・舞台では遷御の儀のようなことはふつう行いませんから、「運ぶもの」がよく見えません。何かを運んでいるのではないのでしょうか。

山車・舞台は運搬することが目的ではなく、レーシングカーと同じように走ること、それ自体が目的なのだから、何を運ぶということはないと、そういう考えもあると思います。でも、山車は氏子町と神社を往復し、殊に神社では長時間係留したりしますから、やはり何かを運んでいるように思えます。

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(里山辺 須々岐水神社 お船曳風景)

以前『お船まつり』を行っている然る神社の宮司さんがこんな話をされていました。

「お船は氏子の皆さんの奉斎の心、感謝の気持ちや願いの心を載せて神社に曳かれて来、神様から御神徳・お蔭をいただいて、それをお船は氏子の里に運んでゆくのである。」と

聴いた時、なるほどと思い感心しました。宮司さんが言うと説得力があります。

ただ、些か模範解答のきらいもなくはありません。祭りで山車や舞台・お船を曳く人は、お宮への往き来で山車が積載しているものが何であるかなど考えてはいないでしょう。

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(神前で宮司に祓いを受ける)

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(そしてお船はまた里へ)

では何か?強いて言うならば、山車が載せるものは「祭りの心」でしょうか。祭りが近づくと騒ぎ出す心、生きることへの歓びと感謝の心、漠とした憧憬、さらに希望、そういうものではないでしょうか。それらは奉納として神前に曳き入れ披歴するに相応しいものだと思います。

そして、神様からはやはり同じものを戴いてくるのではないでしょうか。新しい年も、やはり希望を抱いて生きてゆけるように。

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(深志神社神前で祓いを受ける舞台と曳き手)

舞台や山車が載せるものとは、まったく平和な情熱だと思います。

近ごろ世界には戦争や暴力、テロも頻発していますが、年に一度でも皆で山車を曳くことを教えてやれば、無用な争いはなくなるのではないかと、そんなことも思うのですが…。

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(天満宮御鎮座400年祭での舞台曳行風景)

さて、松本深志舞台保存会は平成7年10月の創設ですので、今年は21年目ということになります。昨年は設立20周年で、総会のあいさつの中で関口会長もそのことに触れ、何か記念事業を行いたい旨を発言していましたが、いきなり当年に何か纏まったことをするというのは難しいことで、結局例年通りの事業に終始しました。周年は過ぎましたが、平成28年中には記念事業が行えればと思っております。

松本深志舞台保存会の最大の目的は、舞台の修復整備でした。その舞台修復事業は平成26年に、宮村町1丁目舞台の修復をもって完了しました。これはたいへん大きなことです。周年でなくとも記念事業は行うべきでしょうし、そうしたいと思っております。

とりあえず、舞台パンフレットを更新し、カラーの素敵に見やすい紹介書を作る予定です。すべての舞台が美しく修復を終えましたので、その写真を用いてきれいなパンフになることでしょう。

また、舞台修復調査報告書が間もなく完成する予定ですので、これをお披露目したいと考えています。出来上がれば『平成の舞台修復』の記念碑的な事業となりましょう。

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(平成10年ごろに作った最初の舞台パンフレット)

前回のたよりで伝えましたが、昨年の暮れ、松本深志舞台保存会の創設者である大野貞夫氏が逝去されました。(舞台保存会だより93)ああいう方が亡くなられたことは、やはり節目だなと思いますし、それがちょうど20年目とは、感慨を覚えます。

平成の初めごろ、大野さんはこのままでは滅んでしまいそうな舞台に危機感を抱いて、保存会を起ち上げました。平成15年ごろから組織的な改修が始まり、すべての舞台が見事に復活し、新築当時に近い姿を取り戻した今、舞台保存会は一つの役目を終えたと言えます。あるいは解散してもよいのかも知れません。

ということは、やはり新たな使命を見定めてゆくべき秋を迎えているのでしょう。それが二十一年目ということなのだろうと思います。

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(舞台風景)

年も改まりましたので(すでに節分・春節も過ぎましたが)今年の干支彫刻を紹介したいと思います。今年は申(サル)ですね。

小池町舞台、『桃太郎一代記』に登場するサル。清水虎吉作、とても剽軽で可愛いサルです。桃太郎に「ちょうだい」をする姿など、思わず笑みがこぼれます。

清水虎吉という彫刻家は、正直なところ人物彫刻はあまり巧い方ではないと思いますが、霊獣や動物などはとても達者です。この桃太郎の従者たちも、寧ろ人間より表情があり、見ていて愉快になり、楽しむことができます。

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(小池町舞台の彫刻 旅立ち「一つください、お供します」) (凱旋 猪のウマに乗っている)

もう一つ紹介します。これは愛知県知多半島の先端、美浜町布土の「護王車」の脇障子に描かれたサルです。作者は三代目立川和四郎の立川富重、および弟の富種と伝えられます。(舞台保存会だより42

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(護王車の脇障子彫刻)

この山車は「護王の夢物語」と呼ばれる壇箱彫刻が特に有名で、鐘馗と邪鬼、玄宗皇帝を一連の流れの中で描いた彫刻は、迫力と構成力のすばらしさで比類がありません。これは富種が彫っており、その下の力神は富重の刻銘があるようですが、脇障子のサルはどちらの刀によるものなのでしょうか。個人的には富種ではないかと見ていますが、まあ、共作ということでよいでしょう。いずれにせよ見事な作・サルです。

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(美浜町布土の護王車) (その壇箱彫刻 鐘馗の場面)

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(立川富重作とされる力神)

立川の描く動物は、ただ単にリアルというのではなく、ものによってはかなりデフォルメの効いたカリカチュアに近いものがあります。猿という動物を写しているのではなく、サルという性格を描いています。これは近代漫画の原点であり、非常に高度な表現です。

「サル知恵」などと悪く喩えられ、農作物を荒らすなど、近頃は頓に評判のよろしくないサルですが、こんなサルなら近くにいてもいいかな、と思ってしまいます。

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(サルたちの表情 実に楽しく素晴らしい)