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舞台保存会だより73 宮村1丁目舞台の修復始まる

宮村町1丁目舞台の修復始まる

3月1日、深志神社拝殿前で魂抜神事を行い、宮村町1丁目舞台が修復に入りました。いよいよ平成の舞台修復事業最後の修理です。

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(3月1日朝 拝殿前に曳き据えられた宮村町1丁目舞台 小雨が降っていました)

前回のたよりでも伝えましたが、宮村町にはもともとこの事業での修復の意図はなく、次々に行われてゆく他町会の舞台修理にも超然としていました。舞台自体に運行に支障のあるような傷みがなく、また比較的近年、舞台に手を入れているからです。

その手入れというのは、まず昭和55年に二階の屋根を新設しています。かつての宮村町舞台と云うのは二階屋根のない簡素な舞台でした。当時の写真を見ますと、テント地の仮設屋根を載せた姿で写っています。屋根のようですがあくまで仮屋根だそうです。

尤もほとんどの深志舞台は祭礼にもテント地の幌を被って出てきますから、こんな姿でもあまり違和感はありません。

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(改修以前の宮村町舞台 町の景色も古いので昭和30年くらいでしょうか)

また、平成5年に舞台人形を新たに設置しました。須佐之男命人形です。作者は梅ヶ枝町に住んだ松本最後の人形師・田中徳斎です。

宮村町舞台はもともと舞台人形を載せてはいませんでしたが、そのことが残念だったらしく、町の有力者が資金を出してこの人形を作ったそうです。徳斎師最後の人形と聞いています。

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(舞台人形「須佐之男命」ズボンの穿き方は現代の若者風です)

それ以前の修復については、町会の記録によると『昭和11年に前二輪・後ろ一輪の三輪車だったのを、後ろも二輪に改造した』と記されています。天神まつりの曳き回しで舞台が横倒しになり、乗っていた子供が亡くなるという事故があったためだそうです。

続いて町会の記録には『その後、元町会長が洋塗料(カシュー)で塗り替えた。』との記事がありました。宮村町舞台は特殊な塗装をされていますが、そのことを指すのでしょう。時期はよく判りませんが、たぶん戦後で昭和30年代か40年代あたりかと思われます。

この記事にある『元町会長』というのは仕事が看板屋さんだったそうです。舞台塗装の生地が剝げたり劣化していて見苦しいと思ったのでしょう、得意の技術で塗装を施しました。

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(舞台側面の塗装 洋塗料は丈夫で剥離や劣化もほとんどありません)

伝統的舞台の塗装はもちろん漆塗りです。深志舞台の場合、一階部分は木地の木目を活かした春慶塗り、2階から上は漆黒のロイロ塗りがセオリーとなっています。しかし看板屋町会長は手近にある材料を使ったらしく、カシューと云いますが見事にペンキで塗られました。木の色を、と配慮したのでしょう、一階部分はべったりと黄銅色で塗られています。

古びた看板をきれいに塗り替える感覚でやってしまったんでしょうが、もう少し何とかならなかったのでしょうか。はっきり言って見る度にげんなりします。これを本来に戻すためだけにでも、平成の舞台修復を行ってほしいと思っていました。

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(魂抜神事の後、拝殿前で舞台を回す町会の人たち)

話は変わりますが、平成25年は神宮の式年遷宮の年で、昨年から今年にかけて何度か伊勢に行って参りました。昨年の夏にはお白石持ち行事で遷宮前の新宮を間近で見、つい先日は遷宮後の古殿を拝観してきました。

木の香も芳しく白々と輝くような新宮はもちろん素晴らしいものですが、20年を経て木部は黒く変色し、茅葺屋根は苔と草が生えて朽ちそぶれた古殿には名状しがたい荘厳さがあり、強い感動を覚えました。視線を転ずると、垣の向こう隣の御敷地には、若々しい茅で葺かれた新宮が千木鰹木を輝かせています。

日本人の美的感性の基本は、おそらくこの二つの宮の間にあるのだろうと思いました。

われわれはたいてい「新しい」ということが好きで、『これは新しい。』は『これは美しい。』と同義語です。一方「古い」は「きたない」とこれも同義なのですが、「きたない」は必ずしも「美しい」の対義ではありません。寧ろ本当の美は「きたない」の中にあることを知っています。「わび」とか、特に「さび」という感覚は「きたない」の中から出てきます。これはとても不思議な、そしてたいへん高度な感覚です。

ところが、屡々「古い」がそのまま「汚い」と結びついてしまうことがあります。これはおそらく『新しい=美しい』は純粋に感覚的な感性であるのに対し、『古い≒美しい』は文化的感性に依るからで、文化的感覚のフィルターを回すと、きたないものも美しく見えたり、あるいはそのまま汚く感じたりするのだと思います。文化フィルターの感度が美醜を振り分けます。そして「汚い」と感じられたものはよろしくないものですから、そう判断されると容易に破壊が行われます。

われわれは近年、ずいぶん「きたない」ものを壊して「新しい」ものを造ってきているな、と感じます。例えば住宅などもかつては木と土と草で築かれ、歳と共に美しく古寂びてゆきましたが、それを壊して建てた現代の新建材の家は、いつか古びて美しくなる日が来るのでしょうか?

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(2階屋根を外す この唐破風屋根は山田工務店で昭和55年に架けられたものです)

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(大バラシされて運搬される宮村町舞台 なお2階屋根は修理しません)

さて、宮村町舞台がペンキ塗りされたとき町の評判はどんなだったのか知りませんが、近年ではやはり『この塗装は…』と感じる人は多かったのでしょう。個々の町人は、何とかしなくては、と感じていたようです。さらに、周囲の舞台が本格的な漆塗りで修復されてゆくとその違いはいよいよ歴然で、機能面はともかく本来の舞台の姿を取り戻したいと、町会では大きな議論の末、舞台改修を決断した模様です。

平成の舞台修復では、あまり傷んでいる風にも見えないのに、ただ、きれいになるために修復をしたような舞台も散見しましたが、宮村町舞台については、ぜひ外観を整えてほしいと思います。

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(建労会館作業室に並べられた舞台部材)

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(車台部 台輪の部材 かなり傷んでいます)

10日後の3月10日、清水の建労会館で舞台修理審査委員会が開かれました。例によって作業室に解体された部材が整然と並べられています。彫刻はないので面白味には欠けるのですが、暦年の部材を目の当たりにすると感慨深いものがあります。

特に台輪の材、車台を構成する欅は古材と見えましたが、複雑に鑿を入れ、何故か刳り貫き加工もされています。棟梁に訊くと太い材の内側を貫くことにより、材の歪みを防いでいるのだとのこと。明治から昭和の初めにかけて屡々用いられた技法だそうです。しかしこうした加工は材料の強度を弱めますから、材自体の劣化も相俟って、今回の修復で台輪材はすっかり交換することになりました。

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(舞台修理審査委員会風景 舞台プロジェクトの皆さんと町会の皆さん)

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(土本先生と降幡先生)

また、解体して初めて分かったそうですが、車軸が前後2本とも木でした。車軸に樫材が使われていました。

江戸時代の舞台は樫の車軸を使っていたと聞いていますが、少なくとも現在の深志舞台にはありません。もともとは木だったとしても、たいてい鉄の軸に替えています。大町大黒町舞台(元・本町2丁目舞台)は木の車軸だそうです。それからすると宮村町舞台は、少なくともベース部分は相当古いのかも知れません。

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(宮村町舞台の車輪と車軸 軸が本当に木なのかはこの写真では判りません)

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(内輪式の後輪と車軸部分)

展示部材を見回っていると、台輪材の黄銅色のカシュー塗りの間に、古い赤褐色の塗装面を見つけました。

『これが伝統的な深志舞台の色ですよ。紅花染料の赤だと思います。』

漆職人の碇屋さんが教えてくれました。そう、この色です。他の深志舞台も修復前は皆こんな色をしていました。

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(車軸近くに残されていた古い塗装面 ここは塗れなかったのでしょう)

舞台は修復され漆塗りが施されると褐色の鏡面のように美しく仕上がります。春慶の部分も濃い褐色で木目もほとんど見えません。最初の頃の修復では、あまりの濃さに漆の色を間違えたのではないかと驚きました。しかし、この濃い褐色は時間とともに色を褪まして、十数年後には赤みがかった、透けるような春慶に落ち着くのだそうです。最初からいわゆる春慶の淡い色に塗ると、その頃には色が飛んでしまって、冴えない色になってしまうのだとか。

木と共に漆は生き物で、塗り上げた時が頂点ではなく、長い年月を掛けてその真価を顕してゆく、そういう塗料なのだそうです。そして100年後には、鏡のような光沢はすっかり消え失せますが、木面に沁みるような染料の色を残してゆきます。

舞台資料 102舞台資料 106
(修復前の飯田町2丁目舞台と)

飯田町2丁目舞台人形 024飯田町2丁目舞台人形 020
(修復後の飯田町2丁目舞台)

漆という塗料は紫外線に弱く、経年変化、劣化も起こります。しかし自然素材というものは、劣化がまた新たな美を呼び覚まします。それを「美しい」と見るか「汚い」と感じるかは、聊か時代や個人の感性に左右されるところですが、われわれ日本人が長い年月かけて自然風土の中で培ってきた感性は、必ずその美しさを捉えることができるでしょう。

宮村町舞台修理解体 023
(私は誰でしょう? …変なおじさん)

まずは宮村町舞台が、まもなく本来の美しい姿を取り戻すことを楽しみにしたいと思います。そして、これまで改修された舞台たちが、更にその美しさを磨いてゆくさまを、見守っていきたいと思います。