舞台保存会だより53 本町5丁目舞台ついに竣工
本町5丁目舞台ついに竣工
6月15日、本町5丁目舞台が修復竣工、深志神社御神前にて入魂・清祓い式が行われました。梅雨の時期のこととて、町会関係者は天候のことで随分気をもんでいましたが、当日は雨どころか快晴。爽やかな涼気の中、晴れ晴れと神事を執り行うことができました。
いつものことながら、竣工式に臨む舞台はピカピカ。深みのある漆塗りの艶が照り映えて本当にきれいです。以前はまったく感じなかった重厚感さえ出て、なんだか本町5丁目舞台のような気がしません。
(新たに制作された舞台人形「柿本人麻呂」像) (美しい仕上げを見せる車体部分)
さらにイスラム預言者のような表情を浮かべた新しい人形「柿本人麻呂」像も舞台二階正面に鎮座していますので、なにか別の舞台を見ているような錯覚に捉われます。
ところが曳き廻すとキュルキュルガラガラ。聞き覚えのある騒音が響きわたります。例の総金属製後輪が鳴く音です。当初予定しなかった前輪を作り直したため予算がなくなり、後輪には手を付けなかったのだとか。後頭部に響いてくる悲痛な摩擦音で、やっぱりこれは5丁目舞台なのだ、と再認識しましたが、せっかく時間をかけて修復したのに、なんとかできなかったのでしょうかねぇ。(舞台保存会だより37)
(深志舞台中 最大径を誇る御所車型前輪) (喧しい音を発する後輪)
あらためて振り返ると本町5丁目舞台の魂抜き式は平成23年の1月27日でした。竣工までに約1年半近くを要したことになります。これは平成の舞台修理中で最も長い修復期間です。最も簡素な舞台が最も時間を掛けて修復されたわけですが、修復に際し難しい問題が生じたわけではなく、人形の問題があり、特に古い人形の決着について若干の検討時間を要しました。
(本町5丁目舞台庫前で 古い人形を検分する市と町会の皆さん)
その件につき先立つ5月9日、町会では松本市の教育委員会文化財課と、松本市立博物館館長を5丁目の舞台庫前に招いて、舞台人形の検分がありました。例の「天神さま」と呼ばれていた「柿本人麻呂」人形です。(舞台保存会だより38)
5丁目町会としては修復して再び舞台に載せる予定の人形でしたが、貴重な文化財として基本的に修復を禁じられたため、修復は取りやめレプリカを作りました。古い人形をどうするか。そのまま復た舞台庫に仕舞っても仕方ありませんから、松本市に寄贈を申し出ました。
嘗て5丁目では、あめ市に曳いていた七福神の載る宝船を、市の博物館に寄贈した実績があります。それと同様、博物館に保管・展示してもらおうと云うわけです。
この日、市からは文化財課の伊佐治課長さんと、博物館の窪田館長さんが見えて、古びた人形を観察してゆかれました。
(5丁目ではずっと「天神さま」と呼んでいた) (カシラを支えているのは瀧口さんです)
(人形の着ている衣装 ボロボロですが素材は確かに良さそうです)
窪田館長さんは寄贈に至る事情を聴きながら、少し困ったような表情で人形を見ていました。(この方は、わりといつでも困った顔ですが…)おそらく
『寄贈されても、とてもそのまま展示することはできないし、修復すればどのくらい掛かるか…。』(相当掛かります)『…多くもない予算の中から、その額をどうやってひねり出そうか…。』と、頭の中でそんなことを考えていたのではないでしょうか。
「新しい方がよければ、こっちでもいいんね。」前町会長の阿部さんが、新調のレプリカを指して冗談を言うと、
「いやっ、私は古い方でいいです。」館長さんは冷汗を振り払うように、笑って答えました。
(舞台に載った新しい人形 どことなく中東の宗教指導者・ナントカ師を髣髴させます)
結局、古い柿本人形は博物館に寄贈されることと決まり、本町5丁目舞台の竣工式典で目録が市の出席者に手渡されました。めでたし、めでたし、です。
いつか市立博物館で、宝船と並んで「柿本人麻呂」像が展示される日が来ることでしょう。きっと人形は古い衣装ながら、きれいに整えられた姿でお目見えするのでしょうが、標記には【町内では長く『天神さま』と呼び慣わされていた】と注釈を入れておいてほしいものです。