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舞台保存会だより44 秋祭り 安曇野のお船たち

秋祭り 安曇野のお船たち

秋も酣(タケナワ)といった時候ですが、松本平の秋祭りは十月上旬でほぼ納めでしょうか。煙火の音に心騒がせる週末もあとわずかです。

舞台保存会の今春は、里山辺湯の原町のお船改修で開けました。そのお船は5月のお祭りで無事に解纜し、お船の存在について深い印象を刻みました。そして形態は異なりますが、秋になると安曇野をいくつものお船が回遊します。これまであまり関心深く見てきませんでしたが、お船ももちろん山車(曳き物)です。この秋、少し追ってみることにしました。

熊野神社お船・東昌寺 068
(中萱の熊野神社のお船)

安曇野の秋のお船行事は8月の末、旧三郷村中萱の熊野神社例大祭をから始まります。このお船は安曇のお船の中でも最大で、山のような巨体が稲穂波の中を進むことで有名です。カメラマンには絶好の被写体で、安曇野の紹介写真にはよく登場します。

8月28日、残暑というより真夏そのものの酷暑の午後、中萱の田園にお船を求めて出かけました。

お船は神社で待っていれば時刻には境内に入ってきますが、やはり稲穂波を別けるお船が見てみたい。お囃子の音をたよりにお船を探すと、中萱の古い集落を行くお船を見つけることができました。

熊野神社お船・東昌寺 003 熊野神社お船・東昌寺 009
(中萱の村中を行くお船)

熊野神社お船・東昌寺 014
(中萱のお船 背面から)

全長13m、高さ8m。確かに巨大です。中萱集落は昔ながらの狭い村道ですから、お船は民家の垣根を擦るようにして進みます。伝説の巨人「でーらぼっちゃ」が通るかのよう。

北アルプスの大パノラマを背景に何処までも続く稲田の中の情景を想像していましたが、考えてみればお船が人気のない田中を歩くわけがありません。お船は村の家々を撫でるように進んで行きました。

行進が止まって休憩になり、あらためてお船に近寄りますと、今年の人形は「大坂夏の陣・真田幸村最後の奮戦」の場面です。出来栄えも素晴らしい。ひとしきり写真を撮ると、それにしても巨大なお船を全景で捉えられる開けた場所はないかと、先回りしてポイントを探すことにしました。

熊野神社お船・東昌寺 051
(中萱お船の人形飾り)

熊野神社の50mほど手前の道沿いに、左右を民家に囲まれながらも二反歩ほどの小さな稲田があります。振り返ると背景もよし。田の向こう側にはすでに何人かのカメラマンが稲穂を前にカメラを構えており、ここが例の撮影ポイントのようでした。
「…あやっ、今年の稲はまだ青いな。穂も垂れてないし。」
「それでも天気はいいし、形のいい雲が出てる。」
「…ありゃ、正面に秕(シイナ)が立ってる。抜いちまうか?」
カメラマンたちは常連らしく、そんな会話を交わしながら撮影の準備をしています。やがて、田の向こうにお船が姿を現すと、集まった人々の間に一瞬、感嘆のため息が洩れ、続いて虫の音のようなシャッター音が鳴り響きました。

熊野神社お船・東昌寺 041
(稲穂の田園を行く)

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(青空のもと曳航されるお船) (熊野神社に曳きこまれる)

秋の豊作を予祝する中萱お船の曳航は、確かに安曇野を象徴する景色と言えます。

真々部諏訪神社 044
(豊科真々部のお船)

2週間後、豊科真々部の祭礼に曳かれるお船です。いつ何処から曳いてきたのか、祭の2時間ほど前には神社の手前300mほどの参道に置かれていました。
真々部のお船は見るからに化繊と感じさせる鮮やかな胴幕が印象的です。幕の中を覗いてみると、お船の前後は柔らかい竹を使って舳と艫の腹を作り、その中央に松を建てる独特の構造で興味深く感じました。

真々部諏訪神社 057 真々部諏訪神社 050
(真々部のお船とその内部)

またお船の飾り物は人形ではなく、映画看板のような板絵が船上に立てられます。昨年は確か大河ドラマの「竜馬伝」でしたが、今年はなんと「なでしこジャパン」。胴幕とのバランスも程よく、思わず笑みがこぼれます。

真々部諏訪神社 076
(真々部のお船の 飾り物「なでしこジャパン」)

お船は神事に先立ち諏訪神社拝殿前に曳きこまれ、祭事の中、御布令(オフリョウ)で神楽殿の回りを廻ります。胴幕で覆われた目隠し状態の船内に10名ほどの人が入り、中で舵棒を押して船を進めるのですが、上手に廻るのはとても難しい。音で方向を知らせようと船の前で一人が、カランカランと警鐘を鳴らして導きます。まるで目隠し鬼をしているよう。一生懸命回っていましたが、御布令はなぜか2周で終了しました。

真々部諏訪神社 075 真々部諏訪神社 079
(御布令で廻るお船) (2周したところでみんな出てきてしまいました)

真々部諏訪神社 088真々部諏訪神社 086
(お祭りが終わるとお船を舞台に餅投げ 村の祭りらしくていいです)

9月27日は穂高神社の例大祭。安曇野の総社・穂高神社のお船行事は、秋祭りのクライマックスと言えます。5艘のお船が曳き回され、拝殿前でお船同士のぶつかり合いが演じられます。

穂高神社お船 001 穂高神社お船 046
(穂高神社のお船)

5艘のうち3艘は二回りほど小さな子供船で、ぶつかり合いはしません。御布令で神楽殿の回りを3周するだけです。しかし、その装飾には興味を惹かれます。
舳と艫の部分はナルと呼ばれる楢やミズナラの若木を曲げて丸い腹とする安曇型お船の定式ですが、その上に着物を掛けて魚鱗のように飾ります。着物は舳の男腹には男物を、艫の女腹には女物の着物を掛け、これらは近在の家から借りてきます。お船に飾られた着物に袖を通すと厄除けになり、病気をしないとされ、喜んで貸してくれるとか。ただ近年は着物を着る機会も少ないので、実際に袖を通す人は稀といいます。

穂高神社お船 026 穂高神社お船 025
(着物で飾られたお船の舳と艫)

穂高神社お船 063
(お船の背面)

また、船の胴幕も以前は端午の節句の幟を借りてきて使ったそうで、想えば借り物競走みたいなお船です。今回も町区のお船は背面を五月幟で飾っていました。
穂高に限らず安曇野お船は、「有るもので造る」「自分たちの技術で造り」「自分たちの力で動かす」というごく当たり前の祭のあり方が浸透しているようで、その素朴な祭り様がお船祭りの魅力なのだと思います。

穂高神社お船骨組み 007 穂高神社お船骨組み 013
(スケルトン状態の穂高のお船)

安曇のお船を見ていますと、同じ山車と言ってもこれは松本の舞台や各地の屋台とは、まったく違った思想のもとに成立した曳き物と感じられます。深志神社でもそうですが、舞台や屋台行事は多くの場合、神輿行事と併せて行われ、神輿とは別に運行されます。したがって舞台・屋台は神様の乗る乗り物ではありません。(神様は神輿に乗ります)神様への奉納物、賑やかし物です。しかし、お船(安曇野のお船)は、明らかに神・神霊の乗り物と感じられます。
『風流としてのオフネ』の著者・三田村佳子先生も指摘されていますが、神霊の依り代として船上に若松を建てること。祭礼に合わせて造り、祭が終わると解体される一回性。御布令という神事が行われることなど。お船が神霊の依る曳き物であることは確かでしょう。
舟形というのも、水に浮かぶ形というより、天から降る神霊を受ける形と見ることができ、すなわち、お船とは動く磐座(イワクラ)と考えられます。
神霊はおそらく御布令と共にお船に降り、船上の飾り人形に憑依して楽しみ、若者たちと一体になって船のぶつけ合いに興ずるのでしょうか。

穂高神社お船 088
(お船のぶつかり合い 何 かが潰れたような烈しい音が境内に響き渡る)

穂高神社お船 076 穂高神社お船 091
(激突ビフォー「加藤清正の虎退治」) (激突アフター「…清正不覚!落ち武者、哀れ?」)

穂高神社の御布令は5艘もの船が回るので、時間がかかることで知られます。
大人船が神前に曳き出されると、境内の興奮が一気に昂まります。喊声と戦闘的な囃子の音が響く中、乾いた衝撃音とナルの軋む鈍い音を響かせてお船のぶつけ合いが続き、やがてお船が二の鳥居の下を掠るようにして出てゆくと、境内には既に足早な秋の黄昏が訪れようとしていました。

穂高神社お船 108穂高神社お船 113

穂高神社お船 117 穂高神社お船 110
(御布令で神楽殿の周りを曳き廻されるお船)

安曇のお船祭りの掉尾を飾るのは、やはり穂高神社奥宮の例祭、明神池でのお舟神事でしょう。上高地では、もはや晩秋の様相を呈する10月8日に斎行されます。
船は本当に水に浮かぶ舟で、曳き物としてのお船とは関係がありませんが、このような神事が行われるのも、お船が祭りに欠かせない安曇野ならではです。

上高地お船 003 上高地お船 009
(上高地・明神池でのお船神事)

これは神を招いた舟遊びでしょう。祭りと遊びとは神にとって同義語で、宮司に奉持された幣束に降った穂高見の神は舟遊びに興じ、振り仰げば真上から神体山・明神岳が見下ろしています。
私も以前に伶人としてこの神事に臨んだことがありますが、明神池湖上で吹く笛は本当に気持ちよく、とても贅沢な遊びでした。また機会があったら、奉仕してみたいものです。
他所の山車の話ばかり続いてしまいましたが、深志舞台の活動も報告しなくては…。
この10月2日、神道まつりに舞台が出場、大名町に展示されました。今年は大名町が全面歩行者天国となり、天気も良く、観光客や多くの市民が舞台の姿を楽しまれたことと思います。川北の東町2丁目、六九町を含めて16台の舞台が出場。本町5丁目と中町3丁目舞台は欠場しました。

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(10月2日 大名町に並んだ深志舞台 先頭は伊勢町3丁目舞台)

本町5丁目は例の人形など舞台装飾がまだ間に合わないため。そして中町3丁目は、去る9月26日、魂抜き神事を行い修復に入ったためです。
次回はこの中町3丁目舞台修復について報告したいと思います。