舞台保存会だより14 伊勢町3丁目舞台の調査始まる
伊勢町3丁目舞台の調査始まる
(掲載写真はクリックすると拡大します)
この4月23日24日二日間に亘り、信州大学工学部土本研究室により伊勢町3丁目舞台の調査が行われました。これによりいよいよ伊勢町3丁目舞台の修理プロジェクトが開始したことになります。
(舞台庫から曳き出された伊勢町3丁目舞台) (舞台と町会の方たち)
ご存じない方のためにあらためてその仕組みを紹介いたしますと、現在深志舞台は順次改修を行っておりますが、文化財としての修理復元ということを第一義にしています。修復に当たっては建造当初における原型を重んじ、恣意的な改変は行いません。そのためにまず信州大学工学部建築学科土本俊和教授の土本研究室に依頼して舞台の現状調査をしています。舞台のあらゆる寸法を当たって平面・立面等各種図面を作成し、構造物としての舞台の姿を明らかにします(キャド図面作成)。更に破損等必要修理箇所を洗い出し、それに基づいて修理方針書を作成してもらいます。ここまでが舞台修理の第一段階となります。
この修理方針書をもとに土本先生ほか学識経験者、依頼主である町会、松本市教育委員会、そして修理プロジェクトに参加する職人さんたちが合同会議を開きその舞台の修理方針を検討します。そしていよいよ解体。解体後にも同じメンバーが現場に集い、細かく解体された現物を見ながら、より具体的な修理方針を決めてゆきます。ここまでが第二段階でしょうか。この修理審査委員会については伊勢町2丁目と中町2丁目の様子をこのたよりで以前紹介いたしました。(舞台保存会だより2,舞台保存会だより6)
本年はまず本町2丁目舞台の修復が予定されていますので、伊勢町3丁目の舞台がこの第二段階(解体)に入るのは、おそらく秋ごろかと思われます。
23日は朝からよい天気でした。土本先生と研究室の学生さん12名が天神舞台庫の前に集い、町会役員の方から挨拶を受け、さっそく調査が始まりました。
伊勢町3丁目舞台というのは、なんというのか、あまり特徴がないのが特徴の舞台で、はっきり言って目立たない舞台です。でも私はこの舞台が嫌いではありません。むしろジャパニーズバロックとでもいうような装飾過多の舞台を見た後では、さわやかな涼風というか、高貴な香りさえ感じて、えもいわれぬ心持になります。
伊勢町3丁目舞台に人形はなく、彫刻もあまり多くありません。町の人たちも「うちの舞台は軽いし、彫刻も殆んどないから」と、謙遜というよりやや自嘲気味に言います。確かにこの舞台やや小ぶりで重量感もありません。同時期に建造された伊勢町2丁目舞台とほぼ同じサイズ・構造で、つまり典型的な深志舞台の姿なのですが、そのことが逆に3丁目舞台の個性を見えにくくしている一因なのでしょう。しかし、よく見ると伊勢町3丁目舞台はけっして没個性的でもないし、なかなか味わい深い舞台だと思います。
岐阜高専の水野耕嗣先生は研究論文「松本深志神社天神祭祭礼の舞台」の中で、この舞台の特長を「木彫刻は少ないが、塗りの調子が良く、金具が印象的な舞台」と評しています。塗りの調子というのはよく解りませんが、漆面は古びていても清雅な印象があります。そして、金具は確かに印象的です。
伊勢町3丁目舞台の錺金具というのは、これまた派手やかさはありませんが実に繊細な、そしてバランスのよい金具です。造りの良さというのはこういうことを言うのでしょう。実に丁寧な仕事でひとつの道に徹してきた職人の気質、人柄のようなものさえ感じます。
高欄下の八双金具、波千鳥などは実に好もしく、ついつい見入ってしまいます。
(高欄下の八双金具、鏨(たがね)で実に入念に模様が施されています)
(博労町舞台の高欄下金具) (東町2丁目舞台の金具 波千鳥)
波千鳥の金具はあの豪快な博労町の高欄下金具などいくつか思い浮かびますが、造りの良さはこの3丁目が一番の出来ではないかなと思います。しかも、永年町の人々に磨き込まれて真鍮地金が輝いている様はまことに味わい深く、これから改修されて金箔を張られてしまうのが惜しいほどです。
渋く、味わい深い舞台は、ぜひそのように改修してほしいと思う次第です。
別の話題をもうひとつ。
東町2丁目の舞台由緒板が出来上がり、この度舞台保存会的場会長より寄贈されました。東町2丁目は、平成17年度からの舞台保存会加入でありましたので、それ以前に企画された由緒板の制作に与らず、これまでなかったのです。
(東町2丁目の舞台由緒板) (小原町会長、的場舞台保存会会長)
5月1日、絵馬型の由緒板が小原町会長に手渡されました。由緒板は昨年改修を了えた舞台とともに、5月5日の岡宮神社例大祭で披露されます。今年は何十年かぶりで4日の宵祭りにも舞台を出すそうですから、ぜひ出かけてみてください。