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舞台保存会だより61 福代さんと細田さんのこと

福代さんと細田さんのこと
昨年の秋と今年の春、二人の舞台保存会会員が逝去されました。伊勢町3丁目の福代靖三さんと、小池町の細田盛弘さんです。福代さんは昨年の10月12日に、細田さんは今年1月23日に旅立たれました。心よりご冥福をお祈りいたします。

お二人はたまたま保存会の元総務委員長と現総務委員長でした。現役の保存会員で、年も共に70代前半とまだお若く、これからも色々と役をお願いして、会の中核を担っていただきたいと思っておりましたのに、本当に残念なことです。

お二人にお務めいただいた総務委員会・総務委員長は保存会組織の中でも重要な役どころで、総会の運営など実務で動いて頂かないといけませんから、真面目でサアという時に当てになる人でないと頼めません。私が事務局を引き受けてから、総務にはそんな人を配置するように心掛けていましたら、平成20年に「松本の祭囃子伝承スクール」が開講し、その受付やら庶務を総務委員会にお願いすることになりました。その時の総務委員長が福代さんで、副委員長格が細田さんでした。

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(「松本の祭囃子伝承スクール」開校式 平成20年)

福代さんは伊勢町3丁目の町会長さんで、十年ほど前までは家業のお茶問屋を経営していたそうです。真面目できちんとした性格の方で、対面すると度の強い眼鏡の奥に、にこやかだけど鋭い眼差しが覗きます。疑問なことには首を傾げ、自分が納得するまで細かく問い質す、といったタイプの方でした。私も面識をいただいた初めの頃は、心の中で襟元を正して話したものです。

ただ顔付きがどこか縹渺として面白く、実は祖父の代に火星から移住してきたエイリアンの三代目、といった風貌。襟を正しながらも心の隅で「アルフ!」などと呟いて、ほくそ笑んだりしていました。

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(神道まつりでお囃子スクールの受付をする福代さん)

福代さんには平成20年から始まったお囃子スクールで、総務委員長としてスクールの庶務をお願いする一方で、丁度その頃から伊勢町3丁目舞台の修復が懸案となり、舞台修理のことでも御苦労をいただきました。

当時、舞台保存会としましては『平成の舞台修復事業』執行の都合上、伊勢町3丁目には平成22年度の修復を希望していました。その方向で事業計画を作り総会に掛けたところ、3丁目の方から「勝手にひとの町会の修復計画を立てないでもらいたい!」と強く叱責を受けたことがあります。たしかにその通りで、希望とは云え些かフライング気味の上程でした。総会後、福代さんにお詫びを言いますと、

『うちの町会には、カタッコな人が多くてね。筋が通らないとああだんね。…まあ、俺が町会長だで、上手く進めてみるわね…。』

そう言って笑ってくれました。

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(伊勢町3丁目舞台解体 天井裏の墨書を前に 右から二人目が福代さん)

伊勢町3丁目舞台は平成21年4月に調査を行い、翌22年1月に解体修復が始まりました。工事は順調に進み、その年の11月、平成22年度事業として、無事竣工することができました。(舞台保存会だより142735)福代さんのお蔭と、今でも深く感謝しています。

舞台が完成した時、祝賀会での福代さんの嬉しそうな表情は忘れられません。町会長で修理委員長も兼ねましたからご苦労も多く、歓びも一入だったのでしょう。

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(伊勢町3丁目舞台入魂式で 玉串拝礼する福代町会長)

昨年の歌舞伎の登城行列にも、舞台の出場をお願いすると、町会にも諮らずに二つ返事で引き受けてくれました。慎重な福代さんには有り難きことです。(残念ながら、雨天で中止になってしまいましたが)舞台の修復竣工がよほど嬉しかったのだと思います。

福代さんは10月6日の「はんだ山車まつり」ツアーには元気に参加されましたが、それから1週間後、町会長旅行の朝、急逝されました。魂が誤って別の世界に旅立ってしまったのかも知れません。

これからも伊勢町3丁目舞台を見ると、福代さんのあの人懐こい笑顔を思い出すことでしょう。舞台と共に福代さんの御霊に幸あれと祈ります。

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(伊勢町3丁目舞台 改修後と改修前)

福代さんには平成20年と21年の2年間総務委員長をお勤めいただき、22年は別の方でしたが、23年から細田盛弘さんに総務委員長をお願いしました。

先にも申しました通り、平成20年からお囃子スクールが始まると、総務委員会がその庶務を担当しましたから、特にその委員長は労を厭わず奉仕してくださる、心の開けた方でないと務まりません。細田さんはまさにそういう方でした。というか、町会でも他の所属団体でも、頼られて役を受けることが好きな人でした。

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(細田盛弘さん 旅行先で 〔碇屋公章氏提供〕)

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(小池町舞台解体式で 一番手前が細田さん 司会係だったと思います)

お囃子スクールは6月と7月の毎土日に、神社の会館で開催します。お囃子の指導者は実際に子供を指導して教えますから花形ですが、受付などでスクールを支える総務は、まさに縁の下の力持ちで、いい大人にご奉仕いただくのは申し訳ないことです。

しかし細田さんは厭な顔一つせず、毎年ほとんど皆勤賞で、寧ろ嬉々として務めてくださいました。最初の年のお囃子スクール(平成20年)にはお孫さんも通ってきましたから、その意味でも熱心に携わっていただいたのだろうと思います。

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(平成20年「松本の祭囃子伝承スクール」発表会風景 神楽殿にて)

保存会員の方はみなご存知ですが、細田さんは古本屋さんです。「細田書店」は高砂町の老舗で山岳図書や地方誌などの専門古書店として、県外にも顧客が多かったようです。

私も20代の頃から出入りしていましたが、細田さんは所謂古書店主の因業めいた気色が殆どなく、即ちあまり古本屋さんらしくなく、初めて会った時は、たまたま店に来て留守番を頼まれた営業マンか誰かかな、と思ったほどです。

やがて話をするようになると、少し悪戯っぽい目を輝かせて、独特のねっとりとした口調でいろいろ世話噺をしてくれました。

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(平成19年『日本のまつり』で)
(市民芸術館前に展示された小池町舞台と関口町会長と細田さん)

何年か前、松本の古書店がやたらと在庫を抱え、古書で溢れかえったことがあります。そうでなくても鬱陶しい古書が、狭い店の通路に横積みされ、道路にまで溢れ出て、ガラクタ屋か本屋か判らない、入店拒否をしているとしか思えない店もありました。

細田書店も一時本が増えて、動きにくくなりました。どうしたわけですか、と訊くと、

『本が売れないだよ。ほんとうに。…特に全集とか大きいものはまったくだめだね。』

全集物はバラ売りして捌いているとのこと。折口信夫全集を一冊買いました。

『今は新本屋さんもどんどん減ってるね。…だけどねコバヤシ君、古本屋は全国的に殖えてるだよ!知ってる?』

細田さんはいかにも楽しそうに教えてくれました。増えているのはインターネット古書店で、ネット上で古書店を開くと無店舗でも全国から注文があるので、そうした店は盛況なのだそうです。細田書店は毎年古書目録を印刷・発行しているような本格的書店なのですが、ネットはやらず店舗販売のみで、既に店の往く末は見切っているようでした。それでも伝統的古書店の凋落ぶりを楽しむように語るのは、如何にもらしく、細田さんでした。

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(細田盛弘さん お店で 平成20年ごろだと思います)

昨年のお囃子スクールが終わると、細田さんは検査といって信大に入院しました。気楽そうに出掛けて行きましたが思いのほか重篤で、すでに手術も難しかった模様。本人も悟って、秋以降は自宅で不自由ながらも好きに暮していたそうです。

今年の1月14日、大雪の日、新聞で細田書店が本日閉店という記事を見つけました。

細田さんはやはり難しいのだろうか、と思いつつ、夕方書店の最期を見に出掛けました。

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(細田書店 店は既に閉店しています)

黄昏の高砂町通り、路側には堆く積まれた雪山が並んでいます。その間から店に入ると、初めて見る前掛けをした若い店員さんが迎えてくれました。奥にはおばあちゃん(奥さん)と、娘さんらしき人もいます。細田さんの様子を訊くと、おばあちゃんは「ええ。」と短く答えるだけで、さすがに寂しそうでした。

店にいたのは奥さんと娘さんと、若い店員さんと見えたのは、孫のケンスケ君でした。

ケンスケ君は「祭囃子伝承スクール」の第一期生です。そのことを言うと、彼は『ああ、ジジが受付やってた、あの時の…。』と懐かしそうに表情を和らげました。

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(小池町舞台と舞台に乗る少年 平成20年)

『今、何年生?』

『高校2年です。』

『高校2年…。もうそんなになるのか。…今は何処に?』

『東京です。店が閉店すると言うので、手伝いに来ました。』

ケンスケ君はとても利発そうな青年でした。100年続いた祖父の店・細田書店の閉店に立ち会ったことは、これからの彼の人生に何かを残すことでしょう。

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(細田書店のある高砂町の街並み)

それから10日後、細田さんの訃報に接しました。

葬儀には多くの人が訪れ、6人もの知人が、みな思いの詰まった弔辞を捧げていました。

葬後、精進落しの席に着いていると、ケンスケ君が飲物を勧めに来てくれました。松本では最早どこの高校でも着ない、蒼黒い詰襟の学生服を着ています。

『先日はたくさん本を買っていただいて、ありがとうございました。』
『閉店から間もなかったねぇ。おじいちゃんは閉店のこと解ってた?』
『ええ、じいちゃんが閉めると決めましたから。…たくさん売れたと言ったら喜んで…』
『ほう。』
『「じゃあ、もう四日延長するか!」って。…それは駄目だって言いました。』
いかにも細田さんらしい。…佳く出来た辞世のようです。

『じいちゃんは本屋をやって、好きなこともいろいろやって、満足して逝ったと思います。』
外孫に当るはずですが、細田さんはこの子とたくさん話したことでしょう。彼の中から細田さんの愛情が伝わってきます。

ケンスケ君は少年の名残を留めたきれいな顔で、細田さんの面影を探してみましたが、よく判りません。何か立派な言葉を掛けてやりたいとも思いましたが、思い付きません。

とりあえず、『東京で、がんばってね。』と声をかけて、式場を後にしました。

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(元細田書店のショーウインドー 展示物が置かれたままでした)