舞台保存会だより25 太田南海の本町2丁目舞台彫刻について
太田南海の本町2丁目舞台彫刻について
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昨年の暮れ、保存会の副会長太田滋さんが急逝されて早くも一年が過ぎようとしています。その間、お祖父さんの太田鶴斎が手掛けた地元中町2丁目舞台が無事に修復竣工し、そして現在は、父上・太田南海の彫刻が飾られた本町2丁目舞台が間もなく修復を完了しようとしています。生前に完成に立ち会えなかったのは心残りというべきでしょうが、これも宿縁でしょうか。今ごろはあの世で三人揃って自分たちの舞台が美しく修復されてゆく様を、楽しく見守っているのかもしれません。
さて、前々回のたより(舞台保存会だより23)で紹介した太田鶴斎の「東方朔」はこれです。筆致といい風格といい一流を感じさせ、とても余技とは思えません。更に鶴斎がこの翌年世を去ることを思えば、これは遺作とも言えましょうし、最後の自画像とも感じられます。ただ、近代的精神に富んだ明治人と思われる鶴斎の掉尾の肖像が東方朔というのは、若干皮肉な感じがしないでもありません。
題材となった東方朔は中国の伝説的神仙ですが、前漢の時代武帝に仕えた実在の人物です。出生・生い立ちが不詳で、宮廷にあっても諧謔味のある奇妙なエピソードが多かったためか、後の時代に一種の仙人に仕立てられてしまいました。童子の姿で西王母の宮殿に忍び込み、3000年に一度結実し、食べると不老長寿を得るとされる桃の実を三つも盗み去ったといわれます。武帝は不老長寿を願い仙境に憧れた皇帝でしたから、東方朔のような謎めいた人物は伝説化されたのでしょう。
(松本館の大広間 太田南海の設計で各所に極彩色の彫刻・絵画が鏤められている)
太田南海も東方朔は好きな題材だったようで、有名な松本館大広間の床柱には西王母と東方朔の図が極彩色の彫刻で彫られています。西王母と東方朔、この組み合わせはシルクロード的な空間の広がりとともに、永遠に近い時間の深みを感じさせます。さらに人類究極の女性的あるいは母性的なるもの、男性の持つ永続的な小児性を表現しているように思われます。
(松本館大広間の床柱 上部に西王母 下部に東方朔が彫刻されている)
さて本町2丁目舞台の彫刻についてですが、一階と二階の間、高欄下の支輪部彫刻は太田南海の作品です。場面は前後左右の四面。まず正面に「寿老人(あるいは東方朔)」、左側に「西王母」、右側に「寒山拾得」、背面に「張果老」。それぞれ南海独特の場面構成により、一つの劇場空間として表現されています。
通常支輪部の彫刻は、例えば鶴斎の彫った中町2丁目舞台の歴史画彫刻のように、適当な大きさの彫刻を6面ほど単品で彫って、後から支輪部の台座に取り付けるのですが、この本町2丁目舞台では支輪部の台座木自体を彫刻して、長広い空間の場面として彫り上げています。もちろん長尺の台木に彫刻をする例は他にないわけではありませんが、劇場舞台ように彫塑画面を構成し、空間表現を隅々まで充実させている作品を私は他に知りません。太田南海という人はやはり本物の芸術家で、舞台彫刻という江戸時代からの伝統工芸の世界に、職人彫とは一線を画した近代彫塑の世界を持ち込みました。その意味でこの本町2丁目舞台とこの4面の彫刻は、画期的な作品であると思います。
まず正面の図「寿老人(あるいは東方朔)」ですが、残念ながら私にはこの老人が寿老人か東方朔か、まだはっきり決められません。老人の持つアイテム(鹿、杖、巻物、瓢箪)は、図像学的に寿老人の特徴です。したがって寿老人とするのが正しいように思いますが、寿老人は七福神の一人で単独で表現されることは稀ですからその点が気にかかります。また、老人の前で薬研を切り、おそらく不老長寿の秘鑰を製造しているのであろう少年は何者なのか、どうにも分りかねます。もしも老人を東方朔とするならば、少年は西王母の宮殿に忍び込んだとされる彼自身の分身でしょうか。ただし、東方朔を表現するとき必須のアイテム「桃の実」がこの場面の中には見えません。
しかし人物の詮索はともかく、舞台の正面を飾るこの場面は見事です。老人の背後には老松を、少年の側には豊かな広葉樹を配してそれぞれの生命感を表すとともに、神仙による秘儀の晦冥な雰囲気を漂わせ、見ているだけで遥かな仙境に魂を奪われてしまいそうです。
次に舞台の左側を飾るのが「西王母」の場面です。場所は西方の仙境・崑崙山でしょう。上巳の節句でしょうか、王母の永遠の春を頌美するように、龍に乗った王女「玉巵(ぎょくし)」と鳳凰の背で「梅福仙人」が音楽を奏でながら訪れます。画面奥に侍女に傅かれた永遠の仙女・西王母が、凛然としたこの世ならぬ高貴な気配を漂わせています。
玉巵と梅福による雅楽の響きと搖うような動き、西王母を取り巻く強い緊張感と永遠の静謐。彫刀の冴えも素晴らしく、この一場は舞台彫刻の範疇を超えた近代彫塑芸術の高みを感じさせます。
太田南海はこの西王母のような永遠の女性的なるものに強い憧れを抱いていたようです。絵画・彫刻で彼が描く聖女たち、鬼子母神や聖観音など一種独特の眼差しを持ち、彼らが時間の外の世界に棲むことを表しています。それが南海のどのような心裏に基づくものなのかは解りませんが、彼の胸中に生まれた理想像なのでしょう。いずれにせよここに顕われた西王母はその究極ともいうべき姿で、南海芸術の一つの頂点を示すものと思われます。
残る2面については、年明けにしたいと思います。
なお、今月23日より来春にかけて、松本市美術館にて太田南海の彫塑「宿命」が公開されるそうです。この作品はまさに本町2丁目舞台と同じ昭和9年に製作され、第15回帝展に出品された大作です。西王母と同じ永遠の表情をした3人の女性が過去・現在・未来を見つめているという象徴的な作品で、太田南海の代表作と云われます。
ぜひご覧いただきたいと思います。