深志神社について
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ご祭神・ご神紋
御本殿二殿(宮村宮・天満宮)
・宮村宮 建御名方命(たけみなかたのみこと・お諏訪さま) 御神紋:梶の葉紋 |
・天満宮 菅原道真公(天神さま) 御神紋:梅鉢紋 |
信仰
当社は、武の神である諏訪明神への信仰に始まり、のち城下町の形成とともに地域の守り神(産土神・うぶすなかみ)として展開し、特に天満宮は学問の神として崇敬され、人々から「深志(深き志し)の天神さま」と敬いと親しみをこめて称され、篤い信頼と祈り・願いが寄せられてきました。
平成14年、氏子・崇敬者の皆さま方の真心のこめられた奉賛により、御祭神菅原道真公御正忌1100年大祭と記念行事が盛大に斎行され、記念事業として社殿・境域が全面的に改修整備され、いやますますの御神徳(みたまのふゆ)が人々より仰がれています。
歴史と由緒
宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏の信仰と深く関わります。
社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。
その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。
一方、天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。
そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。
社格は明治5年に郷社、昭和3年には御大典記念昇格により県社に列格しました。また昭和41年には神社本庁別表神社に加列しました。
鎮座地
城下町松本のまちは、中央を流れる女鳥羽川をはさんで、江戸時代には北に武家屋敷地、南は町人地と分かたれ、その川南である南深志の地を守護されている氏神さまが深志神社です。
氏子の方々は、48ヶ町、約5,000戸です。
Fukashi Jinja
The guardian shrine in the southern part of Matsumoto.
Fukashi Jinja was founded in 1339. In those days, Lord Ogasawara Sadamune, a renowned warlord, who kept guard over the country Shinano, blessed Takeminakata no Mikoto (Kami of war) for having won the battle and enshrined the Kami. Later, the descendants of Lord Ogasawara deified Sugawara no Michizane as Kami of learning, together with Takeminakata no Mikoto, and revered the two Kami as the guardian deities for literary and military arts.
Fukashi is the old name of Matsumoto. Fukashi Jinja is located southeast of Matsumoto Castle, so the two Kami were worshipped as guardian deities for the castle and towns around it.
Now, the two Kami have been adored by the people in this district as guardian deities, and moreover they have been worshipped by many people who set their hearts on learning or sporting on account of the graces of the two deities.
The annual festival is held on the 24th and 25th of July.
The enshrined deities
Takeminakata no Mikoto(Osuwasama)
Sugawara no Michizane(Tenjinsama)
Sugawara Michizane ─ a scholar and statesman
Sugawara Michizane (845-903) is the most famous distinguished scholar in Japan. He first composed a quatrain at the age of eleven. The title is “Looking at plum blossoms in the moonlight.” This statue is the scene where he drew upon the inspiration for the poem.