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舞台保存会だより118 総会と登城行列

総会と登城行列

 

去る5月24日、平成30年度松本深志舞台保存会の定期総会が開催されました。平成7年から数えて24回目の総会。おそらく平成最後の総会ということになるのでしょう。来年の今頃はどんな元号を使っているのでしょうか。

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(総会風景 再任が決まった石塚会長のあいさつ)

今年は役員改選の年で総会の主要議題でした。しかし会長以下役員留任ということで変更なし。唯一総務部長が本町5丁目の縣さんから、飯田町1丁目の丸山さんに代わりました。

決算は承認され、また事業計画など新年度議案も、異論なくすべて承認されました。

今年珍しい事業と言えば、この夏、大町市の大黒町を訪ね交流会を行うことになったこと。大町市大黒町舞台を通じての保存会交流事業です。この事業は大黒町舞台保存会からの申し出で行うことになりました。

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(総会後の懇親会風景 大竹永明文化財課長の音頭で乾杯)

これまでもたびたび取り上げてまいりましたが、大町市大黒町舞台は、元・松本本町2丁目舞台で、明治21年(1888)に大町に売却されたものです。建造は天保9年(1838)で、今年は舞台建造からちょうど180年目。また舞台が大町大黒町舞台となってから、恰も130年目となります。こうした年数については当方まったく念頭にありませんでしたが、さすが大黒町の方々はよくご承知で、式年ともなりますので何か記念事業をやりたいと考え、舞台の故郷である松本深志舞台保存会との交流事業を企画され当会に打診されました。

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(大町市大黒町舞台)

具体的には7月20日、祭りのため舞台の組み上げを行うので、その様子を我々に見せたい。さらに近年行なった舞台の大改修についても報告・披露したいとのことで、当保存会としても会を挙げて大町を訪ねることとなりました。

個人的にも大黒町舞台の組み上げ風景を見ることは宿望でしたから、たいへん楽しみな事業です。江戸時代から続く舞台の在りようを見、関係者の話を聞き、良い交流をしてきたいと思っております。

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(斉藤傳 元舞台保存会会長 第2代目の会長でした)

さて、今年の総会も物故者への黙祷から始まりました。今年の3月2日に元会長・斉藤傳氏が92歳で逝去されています。昨年の的場さん、今年斉藤さんと、二年続けて元会長を見送りました。

斉藤傳会長については、その人柄についてこの「たより」でも以前触れたことがあります。(舞台保存会だより52

体躯も人柄も大人と呼びたい、近くにいるだけで安心感のある人でした。知識や見識を表にすることはありませんでしたが、どんな無理を言う人でも穏やかに説得して従わせる力がありました。深い人格というものを感じました。歴代の会長の中でも真に尊敬に値するのは、この方だったかと思います。

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(中町2丁目舞台の竣工の際に)

今の時代、リスペクトなどという洋語は一般化しましたが、尊敬という言葉に値する人と出会うことは至難です。そんな中で斉藤会長に出会えたことは、私にとって幸運でした。斉藤さん、どうか安らかにお眠りください。

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(中町2丁目にあった昔の『やまへい』斉藤さんのお店 大きなカンバンが懐かしい)

また、併せて清井宗之助さんの霊にも黙祷を捧げました。清井さんは斉藤さんと同じ中町2丁目の人で、保存会の会計監事を務めていただいたことがあります。昨年の11月29日に逝去されました。現役の会員で82歳でした。

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(清井宗之助さん) (中町2丁目舞台を指揮する清井さん)

清井さんは独特の人柄で、印象深い人でした。

がっしりした体格とぶっきらぼうな口調。(荒っぽい松本言葉しか喋りませんでした)全体に四角を感じさせます。まなざしが鋭く据わっていて、すべてを見通すかのよう。容貌が北米インディアンを思わせ、最初はとても怖そうな人だと感じました。

しかし話してみると、自分の思ったことはそのまま言い、虚言やお愛想のない真っすぐな人柄。昔の日本人というのは、みなこんな風だったのだろう、と思わせる人でした。

中町2丁目の舞台改修の際は清井さんが町会長でした。立派に舞台の改修事業を遂行されました。清井さんの性格で、町会をまとめてああした事業を完遂するのは大変だったろうと思います。斉藤さんをはじめ、周りの人のサポートも大きかったのでしょう。

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(中町2丁目舞台竣工の記念写真 中央に斉藤さんと並んで座る清井さん)

舞台改修の後、歌舞伎の登城行列だったかと思いますが、中町2丁目に舞台の出動を要請したことがあります。

中町に限らず、祭礼以外で舞台を出すことには屡々反対もあります。中町2丁目の意見がどうか、清井さんがどういう考えか判りませんでしたが、何れにせよお願いしなければいけない。町の人からも、町会長が「うん」と言わなきゃ舞台は出せないから、と言われ、的場会長を頼んで、清井さんの自宅にお願いに上がりました。的場さんは

「こんなこと、会長が行かなきゃいけないかねぇ。電話じゃだめかね。」と少し不満そうでしたが、強いてお願いして同行しました。

前の日に「明日、朝9時に伺います。」と伝えておいて、9時に訪ねると、清井さんは既に自宅前の女鳥羽川の端に立っていて、なに食わぬ顔で我々を迎えました。

「まあ、立ち話もなんだで、入りましょ。」

清井さんの家業は靴問屋さんで、自宅と店と一体です。その事務所に的場会長と私を招き入れると、女房がそこらに居なくて、と小言を言いながら自らお茶を淹れてくれました。

一息して、的場さんが舞台のことを頼むと、

「よし、分かった。出すで。」

それだけでした。

あとは適当に世間噺をして、お宅を後にしました。清井さんが「出す」と言ったら、町内にどんな反対があろうと一人でも出しましたし、我々の頼み方が悪くて「出さない」と言ったら、町内がなんと宥めても出さなかったでしょう。そういう人でした。

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(女鳥羽川沿いに建つ「清井商店」清井さんのお店は中町通りから川沿いまで貫いています)

また、行きつけの理髪店の店主から、こんな話を聞いたことがあります。

店主がまだ若い頃、理容のコンクールに出るためスタイル練習のモデルを探していましたが、なかなか見つかりません。その話を聞いた清井さんは、「探してやるわ。」と言って、それから一か月間、毎日一人ずつ新しいアタマを連れてきたそうです。

お蔭で店主は全国コンクールで優秀賞を取ることができました。

「あの人は、偉い人せ。」

店主は感に堪えぬように言いました。これは、と思えば損得を抜きに尽くす人でした。

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(平成22年の登城行列で 松本城に向け曳行される中町2丁目舞台)

清井さんは頑健で意志の強い人でしたが、3年ほど前、奥さんを亡くされてから急に心が弱ったようです。保存会の会合にも無沙汰が続き、暫くお目にかかる機会もなく逝去されました。まだそれほどのお年ではなかったのに本当に残念なことです。

しかし今頃は、天上で奥さんと二人で大好きな山歩きを楽しんでいることでしょう。清井さんの御霊に幸あれ。心からご冥福をお祈りいたします。

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(登城行列 信毎メディアガーデン前で)

さて、今年は歌舞伎の年です。2年ぶりに中村座一行が来松し、歌舞伎興行が行われ、公演に先立ち6月10日に登城行列も行われました。われわれ舞台保存会も2台の舞台を率いて出場しました。

今回行列に出場した舞台は本町2丁目舞台と飯田町1丁目舞台です。今年は本町の真ん中に『信毎メディアガーデン』が竣工し、建物の前面に広い庭園スペースを持つこのメディアガーデンが新たな出発セレモニー会場となったので、新施設の関係町会である本町2丁目と飯田町1丁目の舞台が出場することになったのです。

新しいメディアガーデンは伊勢町からの道路が本町にぶつかるT字路の奥にありますから、前の交差点まで大きく広場として使って、今まで以上に賑やかな出発セレモニーが繰り広げられました。なかなかいい空間です。これから松本市内のイベントは、この広場を中心に行われることが多くなることでしょう。

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(本町2丁目舞台)

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(飯田町1丁目舞台)

そんなわけで行路は従来より数十メートル短くなりましたが、登城行列はいつもどおり大名町を通って松本城に向かいました。天守閣前で市民ふれあい座の催しも行われ、スクールの子供たちによるフラワーセレモニーもいつもどおり。

今年舞台に乗ってお囃子をしたのは、去年の祭囃子伝承スクールに通ってくれた小学校5年6年生、合わせて11人。6月10日ではまだ今年のスクールが始まっていないので、昨年の4,5年生に声を掛けて舞台に乗ってもらいました。

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(登城行列風景)

1日だけ事前に特別練習をしました。もう1回か2回練習したかったのですが、現代の小学生は忙しい。土日もスケジュールが詰まっています。それだけで大丈夫かな、と不安でしたが、さすが上級生たち。みんな笛に合わせてきちんと叩けていました。

間もなく本番の練習も始まります。(始まりました。)あとひと月で例大祭、天神祭りです。今年も暑い夏になるのでしょうか。